注意事項
・アイマスの話をします。
・第三者目線に努めていますが批判的と捉えうるかもしれません、叩かないでください。
そもそもアイマスがコンテンツとして有力となりえた根底には声優を前に出す潮流に乗った部分が大きいと考えています。
これが前提となるので、上記に否定的であればこの記事の根底が崩れるので読まなくて良いと思います。
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最近、こんな動画を見た。
千早が約束を歌っている…!
PROJECT IM@S 3.0 VISIONの発表を含め、色々思ったことがあったので記事を書くことにした。
声優とコンテンツの一体化を進めたアイマス
声優は元々背景と同じで、キャラとの分離を求められていた側面が多少なりとも存在した。
アイマスはかなり特殊な動きで、ゲーム→ライブ→アニメの流れであり、アイマス初期段階から声優の顔出し・プロモーションを行なっていた点から異質だったと感じる。かなり攻めたプロジェクトだったのではないだろうか。
そんなアイマスもいまでは複数のシリーズを抱えるほど大きくなった。
コンテンツとしての成熟フェーズを迎えているアイマスにおいて、運営は新たな方針を打ち出すという。それが"PROJECT IM@S 3.0 VISION"だ。
PROJECT IM@S 3.0 VISIONのリスクヘッジ的な方針
この3.0に私は「リスクヘッジ」の面が大きいだろうと結論を下した。理由は以下である。
・声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった
・声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった
声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった
声優とキャラの一体化を進めることでコンテンツが拡大したと述べたが、それによりリスクは増大化した。
最近の事例では、三峰結華の声優の話である。
私は入れ込んでいなかったため、あまり話をする立場にない。
そのため、以下のブログを読んでから本記事に戻ってきてほしい。
https://note.com/akiyuzuki/n/n2dc7059559de
悲しいかな、アイマスの売り方はこのような消費者行動にならざるを得ない戦略となっていた。この方の記事を引用すると、『アイマス声優・アイマスガールズ・アイドル声優といった、キャストとしての役割ではなく、キャラクター自身との同一視から生まれてしまった世間からの見方がある。』ということである。
幕間
櫻井孝宏も不倫報道なんかあったよね、やらかしたことの大きさとポジションによって燃え方が変わるってことだと思う。
山寺宏一の不倫疑惑
櫻井孝宏の不倫報道
成海瑠奈の浮気発覚
山寺宏一を入れるのは失礼かもしれんけど比較のためにやっておこう。
三者の売り方がどれだけ表面に出す動きプロモーションだったかは結構大事だよね。山寺宏一の不倫疑惑が出るなんてもはや記憶の隅に残る程度だし、成海瑠奈なんて色々あったとはいえ法に触れてなくてあの騒ぎだよ。
幕間からあけまして
3.0で打ち出された方針とは、キャラと声優を独立させる動きを包含できるものである。
MRにおけるコンテンツの推進は声優を一度背景に戻す(上記ブログを引用するならば『キャストに戻す』)こととなる。
昔の方向性を含められるのは古参に向けたマーケット拡大にも寄与できるように感じるので、良い判断だと思う。
一方でいわゆる"Vtuber売り"をしてしまうと上記のリスクヘッジになり得ない点には注意したい。そこは運営もかなり力を入れるだろう。
声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった
アイマスのシリーズ合同で推していく方針もリスクヘッジとなりうる。
何かしらのシリーズを推していれば離れる人間は相応に少なくなる。昔より二次元コンテンツへの抵抗感が薄れ、誰でも目にするようになった分、こうしたコンテンツの市場はかなり大きくなりカジュアルになった。
シリーズ合同には「解釈違いによる離反」が起きる確率が高まるものの、1シリーズを推していた消費者が2つ目へと食指を伸ばす確率と比較した際に上記の判断を下すに至ることは想像に難くない。
物理的(体力面)な限界ではASが例に挙げやすいだろう。
ALL STARS(+)においては近年公演数を抑えざるを得なくなり、これらは他シリーズにおいてもいずれ発生しうる。
合同化させることで体力面や開催規模においてもコントロールがしやすくなる。
ライブに参加しようと思って予習しようとなったら他シリーズを知らなければいけない→まずはサブスクで聞こう→興味出てきたから他シリーズもやろう
こんな将来の流れを運営は想像しているのではないだろうか。
総括
PROJECT IM@S 3.0 VISIONにおける戦略の第一目標は「どれだけ発生しうるリスクをヘッジするか」に終始した印象で、バンナムの方針がかなり守りに入ったと感じざるを得ない。
アイマス発起当初の攻めた戦略と違って真新しさはないものの、コンテンツの成熟期における判断として間違ってはいないのではないだろう。
私自身はあんまり良いとも悪いとも思ってないが、面白さ・ワクワク感というエンタメの根底に必要なエネルギーが運営から失われたんだろうという気持ちにはさせられた。
こうした戦略分析は熱狂的な消費者であるうちに考えられていたことか微妙なところである。むしろ本記事を記せた理由は、自分がそれだけコンテンツから離れてしまったということだろう。