話題の脳破壊漫画について
『女体化したら友人がやたら家に来る』の感想的な何か
先日、X(旧Twitter)で流れてきた TS×NTR 風味の短編漫画を読んだ。
正直に言えば、私はTSもNTRもそこまで好みのジャンルではない。
性的な意味で興奮することもなく、この漫画についても読後の感想としてはどちらかと言えば「イヤな気持ちになる話」だった。
それでも、その作品は最後まで読み切ってしまったし、読み終わってから妙に頭に残っている。
NTR初心者から上級者?まで唸らせる構成になっているという点があまりに巧かったので、今回はその構造について少し整理してみたい。
まずは本編を読んでもらった方が話が早いので、未読の方は先にこちらをどうぞ。
https://x.com/tekito_nimo/status/1996766778882764980
ちなみにぼくはギャルみかんを当時見て天才だと確信してましたよ、ええ。
目次
1. 簡単なあらすじ
主人公には、かつて男だった友人がいる。
その友人(ヒロイン)はTSし、今は女性の身体で生きている。
性別が変わった直後、ヒロインは何かと主人公を頼り、ふたりの距離はかなり近かった。
主人公は、ヒロインを「男友達だった頃」の感覚で扱おうとしながらも、目の前にいるのはどう見ても「女の子」であり、現在はこれまでの距離感の近さも相まってか、付き合っていると幻視してしまう。
それに対して、「きっしょ〜〜っっ」と反応するヒロイン。
付き合うのは無理だときっぱり拒絶し、その理由まで口にする。
よく考えても付き合うのは無理。
理由は、「あんたが私を女として性的に見るから」。
つまり、主人公が「元・男友達」から「女」として欲望を向けていることそのものが、付き合えない理由だと明言する。
それでも引き下がれない主人公は、そこで妥協案のように言ってしまう。
「じゃあ、胸を揉むだけでもいいから」
ここでヒロインは条件を提示する。
「触ってもいいけど、触ったら友達やめる」
主人公はしばらく熟考し、最終的には非礼を詫びて、触らない選択を取る。
友達という関係を、身体的接触より優先する形だ。
その後の展開で、ヒロインは別の男友達から迫られ、受け入れていることを匂わせる描写が挟まれる。
動揺する主人公を見て、ヒロインは急に笑って言う。「冗談だって」と。
その後、主人公はヒロインの家を後にする。
そしてラスト、ヒロインは別の男性を家に迎え入れる。その男は、親しげに「しょーくん」と呼ばれている。
2. 「非現実」だからこそ立ち上がるリアル
TS=性転換という設定そのものは、現実では基本起こり得ないフィクションだ。
ただ、この作品が上手いのは、
「物語装置としてのTSは非現実だが、TSしたあとの心の変化や関係性のズレがやたらリアルに描かれている」
という点にある。
- 主人公は、「かつて男だった友人」が女の子になったから付き合いたい → 「男友達ゾーンの延長線上」でコミュニケーションを取っている。
- ヒロインは、すでに「男女の関係性ゾーン」でコミュニケーションを取っている → 男性から向けられる欲望を、現実的な穢れとして認識している。
同じように冗談を言い合っているように見えて、二人の立っているベースがすでに変化している。
ここでTSという非現実の装置が、むしろ「性別が変わることで心のあり方も変わっていく」という現実的な心理変化を、誇張して見せる役割を果たしている。
3. 一般的なNTRものとの違い:「同質の他人」が奪っていく
NTRものには、“リアル感”が必要だとよく言われる。
そのリアル感の源泉のひとつが、
「自分にも手が届きそうだったのに、届かなかった」という「俺にもやれたかも感」
ではないかと推測している。
ところが、多くのNTR作品では、
- 主人公とヒロインの関係性は丁寧に掘り下げる一方で、
- 奪っていく側は「アルファオス」や「種付けおじさん」として唐突に現れる印象を受ける。
その奪う側には、権力、カネ、社会的な地位、圧倒的な肉体、あるいは作品固有の世界観に裏打ちされた特殊能力など、主人公にはないスペックを有している。
そこには主人公と奪う側との「同質性」がほとんどない。
読者として残る感情は、「あれが相手じゃ勝てないよな」という敗北感もさながら、諦めに近い納得に落ち着いてしまう部分もあり、派生として主人公もそのNTR男に隷属するストーリーがあるほどだ。
また、その存在が本筋の悲劇性を侵食して、場合によっては「ポッと出のコメディキャラ」のような印象すら帯びてしまう危うさも孕んでいる。
一方で、今回読んだ漫画はその構造がまったく違う。
- ヒロインは、おそらく他の男友達多数に身体を許している。
- その「男友達」は、スペック的にも性格的にも主人公と同質である。
つまり、主人公とほとんど同じような「有象無象の男友達」はTS友人とセックスできているのに、主人公だけが選ばれずに門前払いされるという構図になっている。
ここで初めて、「リアルなNTR感」が立ち上がってくる。
4. 「報われない優しさ」としての脳破壊
この作品が特にいやらしいのは、主人公がヒロインを「大切に扱っていた」という描写がきちんと積まれている点だ。
- TS後の生活や人間関係に戸惑うヒロインを、主人公は気遣っている。
- 女として生きていく上での困りごとにも、できる範囲で手を貸している。
つまり主人公は、「雑に扱ってきたツケを払わされる」わけではない。
むしろ誰よりも丁寧に接してきたのに、セックスだけは“許されない”位置に固定されている。
一方で、ヒロインにとってはどうでもいい「有象無象の男友達」は、大して努力もせず、欲望のままに押し切って、その身体に触れている可能性が高い。
そんな中で、主人公が勇気を振り絞って口にした
「付き合いたい」「胸を揉ませてくれ」というある種純粋な欲望の漏出は、「きっしょ」「友達の縁切る」と切り捨てられてしまう。
- 大事にしてきたからこそ、何も得られない主人公。
- 下卑た感情の発露のみで身体を許せてもらえるその他大勢。
このコントラストが、「脳破壊」として非常によくできていると感じた。
5. 歪んだ性愛と「しょーくん」呼び
ラストシーンで、ヒロインは別の男性を家に迎え入れ、その男を「しょーくん」と呼ぶ。
作中で主人公は「しょーくん」とは呼ばれていないが、翔太という名前である以上、なにかしらの可能性が示唆されているようにも読める。
これはあくまで私の読みだが、わざわざ主人公と近いニュアンスの呼び名を、体目的の男友達に使っているとも解釈できる。
もしそうだとしたら、ヒロインは、
- 精神的に大事にしているのは主人公でありながら、
- 身体を与えるのは、「主人公っぽいけれど主人公ではない男」。
という、かなり歪んだ性愛の構図を内側に抱えているのかもしれない。
そして、おそらくヒロインは主人公を「大切だからこそ」拒んでいるのだろう、と読んでいる。
- 有象無象の男友達とは、ある意味で線引きしている(身体だけの関係)。
- 主人公のことは、そこに落としたくない(身体だけにしてしまいたくない)。
この発想自体が、いわば「女性的」な価値観に近い。
男女の関係性を「身体の関係」と強く結びつけてしまう男性性とは、少し違うロジックだ。
TSによって身体が女性になっただけでなく、恋愛の価値付けや線引きの仕方も、女性的なものへと変わっていく。
その描写が、作品全体を通して一貫しているからこそ、「TS設定がちゃんと機能している」と感じた。
6. まとめ
最後に、論点を整理しておく。
- TSというSF的な前提があることで、現実の恋愛から半歩距離を置いて眺められる安心感がはじめに付与される。
- とはいえ、感情や関係性のズレは妙にリアルで、「自分と同質の誰かに奪われる」構造がしっかり効いており、そこに不穏さがにじり寄ってくる。
- 最後に、「報われない優しさ」「選ばれないことの残酷さ」が前面に押し出され、犠牲者多数。
と、NTR/BSS的な「後味の悪さ」をきっちり味わわせてくれるバランスの良い一作になっていた。
TSもNTRも特に好みではないが、それでも「構成として素晴らしい」と感じてしまった理由は、まさにこの「非現実の装置 × リアルな関係性」の噛み合わせにあったのだと思っている。
こういう漫画で脳破壊されたくないので、5. 歪んだ性愛では純愛解釈を入れてみました。
皆さまも自分の脳をご自愛ください。

すずめの戸締り鑑賞後座談会
「えっ、まだすずめの戸締り見てないんすか?」
「見てきた方がいい?」
「早く行って感想を聞かせてください、旅行先で話しましょ」
というわけで、すずめの戸締りを超遅刻して見に行ってきました。
その3日後がちょうどそのメンツと旅行だったので、そこで話そうとなったわけです。
ちなみに全員が1回見ただけでそれ以外の情報ソースもないので、実は説明がされているものとか、間違って記憶してる部分もあるかもしれません。でもそういうの抜きで議論した方が楽しいよね。
すずめの戸締り座談会、始まります。

登場人物
がのん:エロゲばかりしてるダメな大人。好きな新海誠作品は「言の葉の庭」
人生二周目:IT企業で期待のエース。好きな新海誠作品は「秒速5センチメートル」
若ハゲ:大手広告代理店のCMプランナー。好きな新海誠作品は「言の葉の庭」
親不孝もの:IT企業勤務なのに入社当時Pythonが読めなかった。好きな新海誠作品は「君の名は。」
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新海誠の伝えたいメッセ―ジ
がのん「俺から言いたいのはまずこれ、環さんの『変な男に引っかかった』が新海誠の裏メッセージだとしたら完璧な作品だった。」
人生二周目「ちょっと何言ってるのかわからない」
がのん「あの話って宗像さんというイケメンが鈴芽を振り回すことになって、ダイジンは鈴芽の一言に振り回されて要石から抜けてしまう、という構図をいかに感動的に見せるかという感じだと思うのよ」
がのん「環さんLOVEの地元のお兄さんとかガン無視されてるでしょ、あのシーンの必要性はこの裏メッセージが前提となってるようにしか思えないんだよね。イケメンに振り回されて、モブは最後まで報われない」
若ハゲ「確かに新海誠の昔のイメージって報われない側を書いてる感じですよね」
がのん「御茶ノ水で出会った芹澤さんとちょっといい感じでまとまってるのとか、あの地元の兄ちゃんが見たらキレとるで」
人生二周目「そういう視点で見ると大衆にウケなさそうなネタを入れこませてるというか、メッセージがあると思わせた時点で名作ですね」
がのん「うん、俺はそういう裏メッセージなら評価するけど、あれが皆が解釈するような震災の恐ろしさみたいなものはズレてると思う。そもそも新海誠ってただ単にいい話書くタイプじゃないでしょ」
親不孝もの「いや最近は結構まっすぐじゃないですか?まあでも、演出とか音楽が良かったから僕は満足でしたよ」
がのん「それは同意する」
人生二周目「ちょっと待って、俺はそこで一つ納得いかないことがあったんだよね」
地域の人たちの「都合の良さ」
若ハゲ「あ、もしかして序盤?」
人生二周目「そうそう、最初の方に出会った人たちに協力してもらうじゃん。そこで『バイク乗って!』とかならなくない?」
がのん「俺はそういう『良い人たち』を書く目的でやってると思ったから気にならなかったけどねえ」
人生二周目「そこら辺ってその人の許容範囲になると思うんで、正直俺も気にしすぎるのは野暮だとは思ってるんすけど、俺が気に入らなかったのは旅館経営してる両親なんですよ」
人生二周目「あれって田舎の民宿じゃないですか、知らない女の子がパッと来て泊めるよ!とはならなくないすか?閉鎖的な環境で、なおかつ旅館もゲストハウスみたいな誰でも泊める感じでもなくて、、ここで環さんと両親が電話してるシーンとか、『なんだいこの子は』みたいなワンカットがないだけで、急にキャラクターがNPC化するんですよ」
がのん「あー確かにあそこだけはなんか納得できないね。あの後に出会ったスナックのママとかは境遇的に理解できる面もありそうだし、納得はできてたけど」
若ハゲ「あそこは仕事終わりに『私たちもああいう頃ありましたよね』みたいなところが入ってたから逆に良く書かれた方じゃないですか?」
親不孝もの「尺足りないから仕方ないっていう割り切り方でもいける疾走感だったので、ぼくは全然気になりませんでした」
がのん「俺は最初のシーンで踏切渡らなかったってシーンで、『ああここからはファンタジーいくのね』って思って頭切り替えたところはあったな。そういう点では普通気になる部分になるわ」
人生二周目「確かにヤマの張り方というか、演出の強弱でそういうイメージを湧かせないつくりにはなってたよね。言っといてなんだけど、俺も後半で忘れちゃうくらい楽しんでたよ」
ダイジンと閉じ師の関係性
がのん「宗像爺と話してたのって結局サダイジンだったっけ?」
若ハゲ「シルエットでかかったしサダイジンですね」
人生二周目「ダイジンもそうなんですけど、あの会話って要石が元人間だったことを描いてる気がするんすよね。鈴芽に爺があそこまで感情的にキレるってのは、爺自身が一度封印したことがあったからじゃないですか?」
がのん「あーーなるほどね!確かにそう考えるとあの反応もわかるわ」
若ハゲ「そうなるとダイジンの『次はお前が要石になるんだよ』って宗像さんに言った言葉にも重みが出てくるな」
人生二周目「爺が敬語使ってて、『戻ってこられましたか』って言ってるところをみると、赤の他人というよりは閉じ師関係、なんなら結構尊敬してた人とかもありそうです。孫が妥協して要石になったことを肯定する要素って、正直そういう過去がないと納得できないですね」
人生二周目「ダイジンが無駄に閉じ師を嫌ってるのは、サダイジンと違って納得しないまま要石になったんじゃないすか」
若ハゲ「鈴芽好き!ってだけでダイジンが宗像さんにキレる理由が若干説明つかなかったけど、その解釈なら納得できそう」
がのん「スナックでダイジンが『人に見えた』ってのは元人間ってことの補強になりそうね」
親不孝もの「みんなよく見てますね」
サダイジンと環さん
がのん「俺あとみんなに聞きたいんだけど、サダイジンが環さんに憑依してたやつっていったいなんだったん?」
親不孝もの「あれよくわかんなかったっす」
がのん「さっきから何もわかってなくない?」
親不孝もの「なんかヒントありました?」
がのん「俺も推測でしかないんだけど、環さんと鈴芽の関係ってサダイジンとダイジンの関係とイコールだと思うんだよね。急に地元から飛び出したやつを連れ戻しに来たって点で」
若ハゲ「それはそれで環さんが鈴芽を悪く言う必要ってあったんですかね」
がのん「そこって裏メッセージの話に戻っちゃうんだけど、そもそもこういう振り回されてる状況自体が”良くない”って伝えるためのシーンな気がするんだよね。本人は突っ走ってるけど、当事者以外から見るとやめなさいってなる」
人生二周目「うーん、解釈としてはギリギリな気もしますが、まあなくもなさそうですね。ダイジンが要石に戻ります!って決めたら素直にサダイジンも要石になったわけだし、その点の自然さが保護者だからっていうのはわかります」
震災を題材にしたことについて
若ハゲ「ぼくはプランナーっていう仕事だからテーマとかに目が行きがちなんですが、震災をモチーフにした作品って結構多いんですよ」
親不孝もの「えっ!そうなんですか。ぼくはすごいテーマを持ってきたなってビックリしましたけど」
若ハゲ「もちろんそのまま使うってことはないんだけど、例えばコロナだって人はたくさん亡くなったわけで、テーマとしては賛否両論になってもおかしくないじゃん?コロナ禍で推し活をやめてしまったお母さん、みたいなCMとかがあったりするんだよ」
親不孝もの「あー、それを前提にして描く。みたいなものはたくさんあるってことですか」
若ハゲ「東日本大震災だと津波があったけど、ネットフリックスの作品で『雨を告げる漂流団地』っていう映画があって。(まああれ自体はそんなに面白いとは言われてないんだけど、)あの映画だと団地内に残った記憶と生活するキャラクターが描かれていて、まさに今回の題材にすごく近いんだよね」
がのん「そんな映画あったんだ、最近の作品は全然わからんな」
若ハゲ「そういう点でぼくが見たときは『え、今更その題材?』って思ってしまって、なんか微妙な気持ちになりました。今の時代ってそういうテーマを前提に描いている作品が多いのに、直喩で使ってくるんだって」
人生二周目「すごくクリエイターっぽい目線だなあ」
がのん「直喩的な点は俺もあんま好きじゃないんだよね。そもそもアニメーションにしている理由ってドラマとかと違って別の世界ですよってことを言ってると思ってるんよ。地名とかが出てきたとしても、それはネオ日本であって今生きているこの日本ではない的な」
がのん「シン・ゴジラが流行ったのって、逆にそういうゴジラと現代日本を融合させたからだと思うのよね。俺、『えっ、蒲田に?』とかのセリフめっちゃ好きだし。ゴジラっていう超非現実的なもの以外すべてリアルだから、面白さがあったと思う。その点でいうと、すずめの戸締りはアニメーションでファンタジーを描いているのに、急にリアルじゃんって冷めたところはあった」
親不孝もの「ぼくは逆にその題材を直接使うっていう勇気を評価したいですけどね、さっきがのんさんが言ったことみたいに、ファンタジーで書いているのに急にリアルさを出してきたことがナイフで刺されたみたいな衝撃でした」
人生二周目「たしかに物語として、悪く言うと他人事みたいな感じで見てた視聴者にこれが現実なんだって見せたとこは挑戦的だったかもしれない」
総評
人生二周目「いろいろ話しましたけど、こう振り返るとめっちゃ名作でしたね~」
親不孝もの「あんなに叩いてたじゃないですか(笑)」
人生二周目「叩いてたっていうよりは、俺の中ではそれくらい真剣に見てたってことよ」
若ハゲ「まさか2時間30分も話すことになるとは思いませんでした」
がのん「大遅刻かましたけど見といてよかったわ。こんな色々話せるとは思ってなかった」
親不孝もの「演出とか音楽とかはもう文句のつけようがなかったですよね」
がのん「俺がすげえいいなと思ったのが、スナックで客がカラオケの歌詞間違えたところと、2階にいる子どもと1階のスナックの間に転落防止柵がついてるところなんだよね」
親不孝もの「またキモいところに注目してますね」
がのん「ああいう一つ一つへの狂気的な細かさはマジですごかった。もちろん常世の表現とかも良かったけどね」
若ハゲ「新海誠の神話なり昔話なりをモチーフにしたセカイ系×ボーイミーツガールへの執念を感じました」
がのん「エロゲーマーとしてはあの素地ってefからきてると思うんだよね。もちろん映画監督だったからストーリーに入ってたわけじゃないけど。絵柄とのマッチはすごくよかった」
親不孝もの「見た当初言ってた『前半ジブリ、後半まどマギ』っていうLINEでこの人適当に観てきたなって思ったけど意外としっかり見てて笑いました」
がのん「キモオタならではの深掘りですよ」
とあるゲームの完結に際して
先日、私は「サクラノ刻」というゲームを終了した。
記念に私とこのゲームシリーズについて記しておこうと思う。
おそらく誰がこれを読んでも面白くないと思う。これは自分のために書く記事だ。
追記:別編として一応続作が予定されていますが、私にとって終ノ空からの文脈は終了しているため、完結としています。
出会いは2010年、13歳のある日、1つの曲に出会った。
「空気力学少女と少年の詩」というタイトルで、私はイントロから衝撃が走ったものだ。
必ず面白いゲームにちがいない。そう思った私がその曲について調べてみると、それは「素晴らしき日々」というゲームだった。それはR18指定だった。
私は、そのゲームをプレイするのに力不足だと直感した。今の時代では年齢制限など社会通念上でしか意味をなさないものが増えてきてはいるし、それは当時もそうだったであろう。だが私は直感で自分の力が足りないと思ってしまった。まだそのゲームの要素として、1曲聞いただけなのにもかかわらず。
それから私は、18歳まで待った。それまでにおそらく様々な経験を積んだし、学もある程度身についたのではないだろうか。
そうして私はついにゲームを手に取った。しかし、このゲームには1人の思想を前提に形作られていると知っていた。だから、私はプレイより先に論理哲学論考と題した本を読んだ。
初めて読んだときは意味が分からなかった。2度も3度も読んだ。時には著者の背景にある思考を読み解くため、他の哲学についても学んだ。そうしてようやく思考の残滓は読み取れたかのように感じた。私はゲームをプレイした。この時2016年の始め、18歳よりも19歳の方が近くなっていた。
私は衝撃を受けた。そして自分の直感に感謝した。13歳の時にいかようかの方法で(望ましいことではないが)プレイしていたら、おそらく意味不明どころか嫌悪感すら抱いたかもしれない。そのくらい表現は粗削りで、ナイフのような鋭さをもって私の心に突き刺さった。
プレイを終えた私は作者の制作物を漁った。ここで話したいのは「素晴らしき日々」の原案となった「終ノ空」そして「サクラノ詩」だ。
大学生の時に「素晴らしき日々」にとって前作に当たる「終ノ空」、そして次作に当たる「サクラノ詩」をプレイした。(連作と読み取ってよいかは人によるかもしれない。ここは各人の解釈に任せたい。)
私は「サクラノ詩」を終了させたとき、初めて作者の主張を自分なりに読み解けたように感じていた。それからも私は背景を知るため、他学部の授業の聴講をしたり、哲学書を読みふけったりした。そのような大学時代であった。
さて、そこから時が経ち私は社会人になった。私なりに努力した気はしているが、私はあまり社会になじめないらしく、医師からは精神病であることを告げられた。自殺も考えていた。
私はここで初めて実感をもって論理を理解した。今までの思考は机上であったと感じざるを得なかった。
私は「素晴らしき日々」と「サクラノ詩」を学生までの経験から批評する立場にいた。
「素晴らしき日々」はおそらくそれでも問題はなかったように思う。だが、「サクラノ詩」の後半には主人公の社会人としてのエピソードが始まる。これは社会人にならなければ実感しえなかった。
私が学生時代に読み解けたのは直哉と稟の語る芸術について、そして神についてまでだった。そこから先は私にとって力不足を痛感するエピソードであったと思う。社会人になってプレイした現在と感じることが異なっている。
さて2023年の2月、私は「サクラノ刻」を手に取っていた。「サクラノ刻」は私にとって(一般的にも?)、シリーズにおける最終作の位置づけだった。それだけに、7年間の期待値は非常に高かった。
私はプレイした。シナリオ・グラフィック・システム、そして文章とイラストと音楽、すべてが文句のつけようがない出来だった。そして、社会人になった私には理解できることが多々あった。ただ、もしかしたら私にとってラストのエピソードのみ、まだ分不相応かもしれない。だが、それはおそらく時が解決してくれるだろう。
2010年、あの時にあの曲に会っていなかったら、そして私がプレイをするのを待たなかったら、今ここに「サクラノ刻」をプレイした私はいなかったかもしれない。(でもどこかで出会っていたかもしれない。)
私はこのシリーズに途中乗車した人間だ。そんな私が話すのもおこがましいが、シリーズの完結を素直に祝いたい。おめでとう。そしてSCA自、ありがとう。
大物YouTubersyamu_gameについて語る
皆さんは大物YouTuberについて一度は耳にしたことがあるだろう。
きっとこの記事を開いた人間は朧げながらもグレイ型宇宙人のようなフォルムを思い出したはずだ。ちなみに本記事で敬語は使わない。
いまさらsyamuさんの紹介か?と思うだろう。
では今のsyamuさんがYouTubeをやっていることを知っているだろうか。

登録者1.21万人(2/28当時)でひっそりと動画をあげる投稿者へとなったsyamuさん、私には動画に映る彼が以前よりもイキイキしているように感じてしまう。
そんなsyamuさんについて語りたいと思う。
syamu_gameの軌跡
syamuさんの詳しい歴史はニコニコ大百科を見てくれ。
https://dic.nicovideo.jp/t/a/syamu%20game
前情報として覚えておいて欲しいのは以下引用である。
『2014年、当時YouTubeではHIKAKINを始めとするYouTuberが台頭し、動画投稿で多額の収益を得る人々が現れると、Syamuはこれに影響を受けたのかオーバーグラスをかけた自身の顔を公開して商品レビューやフリートーク、カラオケやダンスなど様々なジャンルの動画投稿を行った。
するとそれらの動画では、自身を過大評価したり、無意識に視聴者に対して尊大な態度を取ったり、ヨーグルトを掬ったスプーンでブルーベリージャムの瓶からジャムを掬おうとして、その前にスプーンに付いたヨーグルトを舐め取ったりなど、異常な発言や行動が目立つようになった。結果、淫夢民の月影という人物に目をつけられ、「ホモと学ぶシリーズ」タグとしてニコニコ動画に転載されるようになると、徐々にニコ動民の間で話題になり2ちゃんねるのYouTube板でSyamuスレが立ち、その奇怪な姿や異様なトークから注目を集めていった。
さらに、ファン(特に女子)との交流を期待し、ファンを集めて宴会を開いたり映画館に入ったりという内容でオフ会の構想を立て始めた。ファンを名乗る者たちが賛同のコメントを寄せたこともあり、Syamuは最大で100人が集まると期待。ついに2014年平日8月11日12時、イオンモールりんくう泉南(通称・泉南イオン)でオフ会を開催したが、誰も来なかった。Syamuはなぜかこの様子を動画に収めて投稿したため、これがさらにニコ動で転載されると「オフ会0人」という文面の抜群のインパクトから後にTwitterで8月11日になるたびに何度もトレンド入りする程に延々と語り継がれるようになった。』
老子の言葉に「足るを知る」という言葉がある。簡単に言えば「何事に対しても満足できれば、幸せな気持ちで生きていける」ということだ。なんとなく私の言いたいことを察した人もいるだろうが、もう少し続けさせて欲しい。40分は話さないから安心してくれ。
ここでメキシコの漁師に関する逸話を紹介しよう。ここではあるブログを参照したい。
https://blog.tinect.jp/?p=63333
高須賀さんはメキシコの漁師を現代に当てはめてこう述べている。
『現代社会では多様性が、なんでこんなにも尊ばれているのだろうか、と。
本当に「多様性」は我々に幸福をもたらすのだろうか、と。
残念ながら逆だ。
前述したポール ドーランは「幸福になりたいのなら、自分を幸せにしてくれるものに多くの注意を払え」と指摘する。(中略)
気の合うパートナーと家庭を築き、人間関係が安定したリベラルな職場で働き、週末は共通の趣味を持つ友人と過ごす。
SNSをやってるのなら、不快な話題を垂れ流す人は全員ブロックすればいい。
不快な話題を垂れ流す人は、あなたを不快に着目させる悪者である。』
高須賀さんの「個人の幸福は閉じた世界にある」指摘とは、まさにsyamuさんの名言「アンチは嫉妬でアンチコメするからユーザーブロックしてコメント削除」の世界なのだ。まあ彼の場合は再生リストを作ったファンの厚意も無碍にしたわけだが。
つまりsyamuさんに才能があったどうか定かではないものの、大物YouTuberに必要な精神性が足りなかったということである。ヒカキンは語る。「批判的な意見にも目を向けて、今もそういう意見をしっかり見て危機感を持っていくっていうのがYouTuberとして大事では」とのことだ。貝塚勃起土竜の完敗である。
"YouTubeドリーム"を語るMBA所持者のビジネスマンに唆されたsyamuさんは、意気揚々とネットの海を航海(後悔)し始めるわけだ。何度も復活する中、自分がただのメキシコの漁師だと知ったsyamuさんは、自分でできる範囲の動画投稿を始めた。
だから今のsyamuさんは「海はいい」と語るのかもしれない。

時代が巻き戻りつつあるアイマスのエンタメ戦略について
注意事項
・アイマスの話をします。
・第三者目線に努めていますが批判的と捉えうるかもしれません、叩かないでください。
そもそもアイマスがコンテンツとして有力となりえた根底には声優を前に出す潮流に乗った部分が大きいと考えています。
これが前提となるので、上記に否定的であればこの記事の根底が崩れるので読まなくて良いと思います。
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最近、こんな動画を見た。

千早が約束を歌っている…!
PROJECT IM@S 3.0 VISIONの発表を含め、色々思ったことがあったので記事を書くことにした。

声優とコンテンツの一体化を進めたアイマス
声優は元々背景と同じで、キャラとの分離を求められていた側面が多少なりとも存在した。
アイマスはかなり特殊な動きで、ゲーム→ライブ→アニメの流れであり、アイマス初期段階から声優の顔出し・プロモーションを行なっていた点から異質だったと感じる。かなり攻めたプロジェクトだったのではないだろうか。
そんなアイマスもいまでは複数のシリーズを抱えるほど大きくなった。
コンテンツとしての成熟フェーズを迎えているアイマスにおいて、運営は新たな方針を打ち出すという。それが"PROJECT IM@S 3.0 VISION"だ。
PROJECT IM@S 3.0 VISIONのリスクヘッジ的な方針
この3.0に私は「リスクヘッジ」の面が大きいだろうと結論を下した。理由は以下である。
・声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった
・声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった
声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった
声優とキャラの一体化を進めることでコンテンツが拡大したと述べたが、それによりリスクは増大化した。
最近の事例では、三峰結華の声優の話である。
私は入れ込んでいなかったため、あまり話をする立場にない。
そのため、以下のブログを読んでから本記事に戻ってきてほしい。

https://note.com/akiyuzuki/n/n2dc7059559de
悲しいかな、アイマスの売り方はこのような消費者行動にならざるを得ない戦略となっていた。この方の記事を引用すると、『アイマス声優・アイマスガールズ・アイドル声優といった、キャストとしての役割ではなく、キャラクター自身との同一視から生まれてしまった世間からの見方がある。』ということである。
幕間
櫻井孝宏も不倫報道なんかあったよね、やらかしたことの大きさとポジションによって燃え方が変わるってことだと思う。
山寺宏一の不倫疑惑
櫻井孝宏の不倫報道
成海瑠奈の浮気発覚
山寺宏一を入れるのは失礼かもしれんけど比較のためにやっておこう。
三者の売り方がどれだけ表面に出す動きプロモーションだったかは結構大事だよね。山寺宏一の不倫疑惑が出るなんてもはや記憶の隅に残る程度だし、成海瑠奈なんて色々あったとはいえ法に触れてなくてあの騒ぎだよ。
幕間からあけまして
3.0で打ち出された方針とは、キャラと声優を独立させる動きを包含できるものである。
MRにおけるコンテンツの推進は声優を一度背景に戻す(上記ブログを引用するならば『キャストに戻す』)こととなる。
昔の方向性を含められるのは古参に向けたマーケット拡大にも寄与できるように感じるので、良い判断だと思う。
一方でいわゆる"Vtuber売り"をしてしまうと上記のリスクヘッジになり得ない点には注意したい。そこは運営もかなり力を入れるだろう。
声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった
アイマスのシリーズ合同で推していく方針もリスクヘッジとなりうる。
何かしらのシリーズを推していれば離れる人間は相応に少なくなる。昔より二次元コンテンツへの抵抗感が薄れ、誰でも目にするようになった分、こうしたコンテンツの市場はかなり大きくなりカジュアルになった。
シリーズ合同には「解釈違いによる離反」が起きる確率が高まるものの、1シリーズを推していた消費者が2つ目へと食指を伸ばす確率と比較した際に上記の判断を下すに至ることは想像に難くない。
物理的(体力面)な限界ではASが例に挙げやすいだろう。
ALL STARS(+)においては近年公演数を抑えざるを得なくなり、これらは他シリーズにおいてもいずれ発生しうる。
合同化させることで体力面や開催規模においてもコントロールがしやすくなる。
ライブに参加しようと思って予習しようとなったら他シリーズを知らなければいけない→まずはサブスクで聞こう→興味出てきたから他シリーズもやろう
こんな将来の流れを運営は想像しているのではないだろうか。
総括
PROJECT IM@S 3.0 VISIONにおける戦略の第一目標は「どれだけ発生しうるリスクをヘッジするか」に終始した印象で、バンナムの方針がかなり守りに入ったと感じざるを得ない。
アイマス発起当初の攻めた戦略と違って真新しさはないものの、コンテンツの成熟期における判断として間違ってはいないのではないだろう。
私自身はあんまり良いとも悪いとも思ってないが、面白さ・ワクワク感というエンタメの根底に必要なエネルギーが運営から失われたんだろうという気持ちにはさせられた。
こうした戦略分析は熱狂的な消費者であるうちに考えられていたことか微妙なところである。むしろ本記事を記せた理由は、自分がそれだけコンテンツから離れてしまったということだろう。
WHITE ALBUM2 考察 _無印から続く真のテーマ

目次
はじめに
WHITE ALBUM2本編考察
・CCのヒロインから見るIC〜CCの展開分析
WHITE ALBUMシリーズ全体考察
・無印と2のメインヒロイン比較
・ICにおける巧妙なシナリオ構成
・CCにおける雪菜とかずさの立ち位置
・"WHITE ALBUM"とは何か
・緒方英二と冬馬曜子、緒方理奈と冬馬かずさ
・メインキャラクターの名前
・Codaにおける季節
・曲名、WHITE ALBUMから始まる3人の関係性
・曲から考察するWHITE ALBUM2
・ミニアフターストーリーが示すこと
おわりに
はじめに
WHITE ALBUM2本編考察
IC〜CCへの展開分析








シリーズ全体考察
無印と2のメインヒロイン比較


ICにおける巧妙なシナリオ構成




CCにおける雪菜とかずさの立ち位置
"WHITE ALBUM"とは何か
WHITE ALBUMとは「まっさらな関係性」
緒方英二と冬馬曜子、緒方理奈と冬馬かずさ

メインキャラクターの名前
"冬"馬かずさ

Codaにおける季節




曲名、WHITE ALBUMから始まる3人の関係性


曲から考察するWHITE ALBUM2
「Closing」

「POWDER SNOW」



「時の魔法」

小ネタ話

ミニアフターストーリー
幸せへと戻る道

幸せへと進む道





おわりに
4年間通った私が考える大学不要論に対するアンサー
こんにちは、大学をもうすぐ卒業できるであろう(?)ガノンドロフです。
終わりゆく大学生活で何をしているか?ゲームかyoutubeか麻雀です。
今回は最近次第に声が大きくなってきた大学不要論に対する考えを書きます。
あくまで一般的な(大学不要論のやり玉に挙げられている)大学生の話です。

クソ文系大学生にも大学は必要だ
大学は4年間という時間を保証するもの
私は大学生活を
「卒業できる程度の学業を行うことで自由を保障してくれる時間」だと考えます。
大学で勉強したことなんて就職したら使わないという大人、たくさんいます。
一般的な大学生活を送っている学生に対してのこの考えには私も同意します。
しかしながら、大学生活で得た知識や知恵は多大に使っていると思います。
社会人と交流して課外活動を取り組んだ経験があって実感しますが、高校まででは絶対ついていけなかったと思います。でもそれまでの時間やっていたことは、少しの学業、サークル活動、バイトで、あとは引きこもりに近かったです。それでも、その時間で「何か」を私は掴んでいたのだと肌で感じています。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。
私は勉強以外にもこの考えが言えると思うのです。
アルタ前に酔いつぶれていた経験も、ゲイバーに行った経験も、コナンを1話から全話見た経験も、パワプロを昼夜逆転してやった経験も、スロットで生計を立てていた経験も
きっと一見何の役にも立たないような経験がどこかに生きて、活きているんだと思います。
それは大学で勉強一本でやってきた人も、スポーツ一本でやってきた人も、きっと他の部分でその経験や知識は活かされていると思います。
これを実証する方法はありません。
でも大学生活という4年間があったから
今があると、私が身をもって証明できます。
学業と両立するという部分がなぜ必要なのか
学業と両立するハードルは人それぞれではありますが、一般的な大学生に関してはともかく卒業できるだけの努力をしなければこの考えは大学不要論へのアンサーにはなりません。
大学生活の4年間で得た「何か」は、あくまでやらねばならないことをやり遂げられる精神性を持つ人間しか発揮されないからです。
仕事もプライベートも、最低限の義務というものがあります。
自由は制限をもって存在します。制限のない自由はいつか堕落へ向かいます。
だからこそ、学業と両立した本人も意味のないと思っている経験が思わぬところで顔をのぞかせるのです。
最後に
大学がもしなかったら私はどうなっていたでしょうか、高校三年生のときの私の将来の夢は「ヒモ」でした。本気です。
自由を与えられた際、学業という制限にリソースを割きつつ、残りで何をするかは人によって本当に様々です。私は自分じゃ絶対選択しないような道を歩んだ友人を何人も見ています。
社会はそんな私たちの経験にある「砂金」に期待して、4年という自由を単なる放浪とみなさずに評価してくれるのではないでしょうか。