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しっくりとゆっくりと更新しています。

すずめの戸締り鑑賞後座談会

「えっ、まだすずめの戸締り見てないんすか?」

「見てきた方がいい?」

「早く行って感想を聞かせてください、旅行先で話しましょ」

 

というわけで、すずめの戸締りを超遅刻して見に行ってきました。

その3日後がちょうどそのメンツと旅行だったので、そこで話そうとなったわけです。

ちなみに全員が1回見ただけでそれ以外の情報ソースもないので、実は説明がされているものとか、間違って記憶してる部分もあるかもしれません。でもそういうの抜きで議論した方が楽しいよね。

 

すずめの戸締り座談会、始まります。

 

すずめの戸締まり

登場人物

がのん:エロゲばかりしてるダメな大人。好きな新海誠作品は「言の葉の庭

人生二周目:IT企業で期待のエース。好きな新海誠作品は「秒速5センチメートル

若ハゲ:大手広告代理店のCMプランナー。好きな新海誠作品は「言の葉の庭

親不孝もの:IT企業勤務なのに入社当時Pythonが読めなかった。好きな新海誠作品は「君の名は。

 

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新海誠の伝えたいメッセ―ジ

がのん「俺から言いたいのはまずこれ、環さんの『変な男に引っかかった』新海誠の裏メッセージだとしたら完璧な作品だった。」

人生二周目「ちょっと何言ってるのかわからない」

がのん「あの話って宗像さんというイケメンが鈴芽を振り回すことになって、ダイジンは鈴芽の一言に振り回されて要石から抜けてしまう、という構図をいかに感動的に見せるかという感じだと思うのよ」

がのん「環さんLOVEの地元のお兄さんとかガン無視されてるでしょ、あのシーンの必要性はこの裏メッセージが前提となってるようにしか思えないんだよね。イケメンに振り回されて、モブは最後まで報われない

若ハゲ「確かに新海誠の昔のイメージって報われない側を書いてる感じですよね」

がのん「御茶ノ水で出会った芹澤さんとちょっといい感じでまとまってるのとか、あの地元の兄ちゃんが見たらキレとるで」

人生二周目「そういう視点で見ると大衆にウケなさそうなネタを入れこませてるというか、メッセージがあると思わせた時点で名作ですね」

がのん「うん、俺はそういう裏メッセージなら評価するけど、あれが皆が解釈するような震災の恐ろしさみたいなものはズレてると思う。そもそも新海誠ってただ単にいい話書くタイプじゃないでしょ」

親不孝もの「いや最近は結構まっすぐじゃないですか?まあでも、演出とか音楽が良かったから僕は満足でしたよ」

がのん「それは同意する」

人生二周目「ちょっと待って、俺はそこで一つ納得いかないことがあったんだよね」

 

地域の人たちの「都合の良さ」

若ハゲ「あ、もしかして序盤?」

人生二周目「そうそう、最初の方に出会った人たちに協力してもらうじゃん。そこで『バイク乗って!』とかならなくない?」

がのん「俺はそういう『良い人たち』を書く目的でやってると思ったから気にならなかったけどねえ」

人生二周目「そこら辺ってその人の許容範囲になると思うんで、正直俺も気にしすぎるのは野暮だとは思ってるんすけど、俺が気に入らなかったのは旅館経営してる両親なんですよ」

人生二周目「あれって田舎の民宿じゃないですか、知らない女の子がパッと来て泊めるよ!とはならなくないすか?閉鎖的な環境で、なおかつ旅館もゲストハウスみたいな誰でも泊める感じでもなくて、、ここで環さんと両親が電話してるシーンとか、『なんだいこの子は』みたいなワンカットがないだけで、急にキャラクターがNPC化するんですよ」

がのん「あー確かにあそこだけはなんか納得できないね。あの後に出会ったスナックのママとかは境遇的に理解できる面もありそうだし、納得はできてたけど」

若ハゲ「あそこは仕事終わりに『私たちもああいう頃ありましたよね』みたいなところが入ってたから逆に良く書かれた方じゃないですか?」

親不孝もの「尺足りないから仕方ないっていう割り切り方でもいける疾走感だったので、ぼくは全然気になりませんでした」

がのん「俺は最初のシーンで踏切渡らなかったってシーンで、『ああここからはファンタジーいくのね』って思って頭切り替えたところはあったな。そういう点では普通気になる部分になるわ」

人生二周目「確かにヤマの張り方というか、演出の強弱でそういうイメージを湧かせないつくりにはなってたよね。言っといてなんだけど、俺も後半で忘れちゃうくらい楽しんでたよ」

 

ダイジンと閉じ師の関係性

がのん「宗像爺と話してたのって結局サダイジンだったっけ?」

若ハゲ「シルエットでかかったしサダイジンですね」

人生二周目「ダイジンもそうなんですけど、あの会話って要石が元人間だったことを描いてる気がするんすよね。鈴芽に爺があそこまで感情的にキレるってのは、爺自身が一度封印したことがあったからじゃないですか?」

がのん「あーーなるほどね!確かにそう考えるとあの反応もわかるわ」

若ハゲ「そうなるとダイジンの『次はお前が要石になるんだよ』って宗像さんに言った言葉にも重みが出てくるな」

人生二周目「爺が敬語使ってて、『戻ってこられましたか』って言ってるところをみると、赤の他人というよりは閉じ師関係、なんなら結構尊敬してた人とかもありそうです。孫が妥協して要石になったことを肯定する要素って、正直そういう過去がないと納得できないですね」

人生二周目「ダイジンが無駄に閉じ師を嫌ってるのは、サダイジンと違って納得しないまま要石になったんじゃないすか」

若ハゲ「鈴芽好き!ってだけでダイジンが宗像さんにキレる理由が若干説明つかなかったけど、その解釈なら納得できそう」

がのん「スナックでダイジンが『人に見えた』ってのは元人間ってことの補強になりそうね」

親不孝もの「みんなよく見てますね」

 

サダイジンと環さん

がのん「俺あとみんなに聞きたいんだけど、サダイジンが環さんに憑依してたやつっていったいなんだったん?」

親不孝もの「あれよくわかんなかったっす」

がのん「さっきから何もわかってなくない?」

親不孝もの「なんかヒントありました?」

がのん「俺も推測でしかないんだけど、環さんと鈴芽の関係ってサダイジンとダイジンの関係とイコールだと思うんだよね。急に地元から飛び出したやつを連れ戻しに来たって点で」

若ハゲ「それはそれで環さんが鈴芽を悪く言う必要ってあったんですかね」

がのん「そこって裏メッセージの話に戻っちゃうんだけど、そもそもこういう振り回されてる状況自体が”良くない”って伝えるためのシーンな気がするんだよね。本人は突っ走ってるけど、当事者以外から見るとやめなさいってなる」

人生二周目「うーん、解釈としてはギリギリな気もしますが、まあなくもなさそうですね。ダイジンが要石に戻ります!って決めたら素直にサダイジンも要石になったわけだし、その点の自然さが保護者だからっていうのはわかります」

 

震災を題材にしたことについて

若ハゲ「ぼくはプランナーっていう仕事だからテーマとかに目が行きがちなんですが、震災をモチーフにした作品って結構多いんですよ」

親不孝もの「えっ!そうなんですか。ぼくはすごいテーマを持ってきたなってビックリしましたけど」

若ハゲ「もちろんそのまま使うってことはないんだけど、例えばコロナだって人はたくさん亡くなったわけで、テーマとしては賛否両論になってもおかしくないじゃん?コロナ禍で推し活をやめてしまったお母さん、みたいなCMとかがあったりするんだよ」

親不孝もの「あー、それを前提にして描く。みたいなものはたくさんあるってことですか」

若ハゲ「東日本大震災だと津波があったけど、ネットフリックスの作品で『雨を告げる漂流団地』っていう映画があって。(まああれ自体はそんなに面白いとは言われてないんだけど、)あの映画だと団地内に残った記憶と生活するキャラクターが描かれていて、まさに今回の題材にすごく近いんだよね」

がのん「そんな映画あったんだ、最近の作品は全然わからんな」

若ハゲ「そういう点でぼくが見たときは『え、今更その題材?』って思ってしまって、なんか微妙な気持ちになりました。今の時代ってそういうテーマを前提に描いている作品が多いのに、直喩で使ってくるんだって」

人生二周目「すごくクリエイターっぽい目線だなあ」

がのん「直喩的な点は俺もあんま好きじゃないんだよね。そもそもアニメーションにしている理由ってドラマとかと違って別の世界ですよってことを言ってると思ってるんよ。地名とかが出てきたとしても、それはネオ日本であって今生きているこの日本ではない的な」

がのん「シン・ゴジラが流行ったのって、逆にそういうゴジラ現代日本を融合させたからだと思うのよね。俺、『えっ、蒲田に?』とかのセリフめっちゃ好きだし。ゴジラっていう超非現実的なもの以外すべてリアルだから、面白さがあったと思う。その点でいうと、すずめの戸締りはアニメーションでファンタジーを描いているのに、急にリアルじゃんって冷めたところはあった」

親不孝もの「ぼくは逆にその題材を直接使うっていう勇気を評価したいですけどね、さっきがのんさんが言ったことみたいに、ファンタジーで書いているのに急にリアルさを出してきたことがナイフで刺されたみたいな衝撃でした」

人生二周目「たしかに物語として、悪く言うと他人事みたいな感じで見てた視聴者にこれが現実なんだって見せたとこは挑戦的だったかもしれない」

 

総評

人生二周目「いろいろ話しましたけど、こう振り返るとめっちゃ名作でしたね~」

親不孝もの「あんなに叩いてたじゃないですか(笑)」

人生二周目「叩いてたっていうよりは、俺の中ではそれくらい真剣に見てたってことよ」

若ハゲ「まさか2時間30分も話すことになるとは思いませんでした」

がのん「大遅刻かましたけど見といてよかったわ。こんな色々話せるとは思ってなかった」

親不孝もの「演出とか音楽とかはもう文句のつけようがなかったですよね」

がのん「俺がすげえいいなと思ったのが、スナックで客がカラオケの歌詞間違えたところと、2階にいる子どもと1階のスナックの間に転落防止柵がついてるところなんだよね」

親不孝もの「またキモいところに注目してますね」

がのん「ああいう一つ一つへの狂気的な細かさはマジですごかった。もちろん常世の表現とかも良かったけどね」

若ハゲ「新海誠の神話なり昔話なりをモチーフにしたセカイ系×ボーイミーツガールへの執念を感じました」

がのん「エロゲーマーとしてはあの素地ってefからきてると思うんだよね。もちろん映画監督だったからストーリーに入ってたわけじゃないけど。絵柄とのマッチはすごくよかった」

親不孝もの「見た当初言ってた『前半ジブリ、後半まどマギっていうLINEでこの人適当に観てきたなって思ったけど意外としっかり見てて笑いました」

がのん「キモオタならではの深掘りですよ」

 

 

 

とあるゲームの完結に際して

先日、私は「サクラノ刻」というゲームを終了した。

記念に私とこのゲームシリーズについて記しておこうと思う。

おそらく誰がこれを読んでも面白くないと思う。これは自分のために書く記事だ。

 

追記:別編として一応続作が予定されていますが、私にとって終ノ空からの文脈は終了しているため、完結としています。

 

出会いは2010年、13歳のある日、1つの曲に出会った。

「空気力学少女と少年の詩」というタイトルで、私はイントロから衝撃が走ったものだ。

必ず面白いゲームにちがいない。そう思った私がその曲について調べてみると、それは「素晴らしき日々」というゲームだった。それはR18指定だった。

私は、そのゲームをプレイするのに力不足だと直感した。今の時代では年齢制限など社会通念上でしか意味をなさないものが増えてきてはいるし、それは当時もそうだったであろう。だが私は直感で自分の力が足りないと思ってしまった。まだそのゲームの要素として、1曲聞いただけなのにもかかわらず。

 

それから私は、18歳まで待った。それまでにおそらく様々な経験を積んだし、学もある程度身についたのではないだろうか。

そうして私はついにゲームを手に取った。しかし、このゲームには1人の思想を前提に形作られていると知っていた。だから、私はプレイより先に論理哲学論考と題した本を読んだ。

初めて読んだときは意味が分からなかった。2度も3度も読んだ。時には著者の背景にある思考を読み解くため、他の哲学についても学んだ。そうしてようやく思考の残滓は読み取れたかのように感じた。私はゲームをプレイした。この時2016年の始め、18歳よりも19歳の方が近くなっていた。

 

私は衝撃を受けた。そして自分の直感に感謝した。13歳の時にいかようかの方法で(望ましいことではないが)プレイしていたら、おそらく意味不明どころか嫌悪感すら抱いたかもしれない。そのくらい表現は粗削りで、ナイフのような鋭さをもって私の心に突き刺さった。

 

プレイを終えた私は作者の制作物を漁った。ここで話したいのは「素晴らしき日々」の原案となった「終ノ空」そして「サクラノ詩」だ。

大学生の時に「素晴らしき日々」にとって前作に当たる「終ノ空」、そして次作に当たる「サクラノ詩」をプレイした。(連作と読み取ってよいかは人によるかもしれない。ここは各人の解釈に任せたい。)

私は「サクラノ詩」を終了させたとき、初めて作者の主張を自分なりに読み解けたように感じていた。それからも私は背景を知るため、他学部の授業の聴講をしたり、哲学書を読みふけったりした。そのような大学時代であった。

 

さて、そこから時が経ち私は社会人になった。私なりに努力した気はしているが、私はあまり社会になじめないらしく、医師からは精神病であることを告げられた。自殺も考えていた。

そんなとき「素晴らしき日々」と「サクラノ詩」をやり直した。

私はここで初めて実感をもって論理を理解した。今までの思考は机上であったと感じざるを得なかった。

私は「素晴らしき日々」と「サクラノ詩」を学生までの経験から批評する立場にいた。

素晴らしき日々」はおそらくそれでも問題はなかったように思う。だが、「サクラノ詩」の後半には主人公の社会人としてのエピソードが始まる。これは社会人にならなければ実感しえなかった。

私が学生時代に読み解けたのは直哉と稟の語る芸術について、そして神についてまでだった。そこから先は私にとって力不足を痛感するエピソードであったと思う。社会人になってプレイした現在と感じることが異なっている。

 

さて2023年の2月、私は「サクラノ刻」を手に取っていた。「サクラノ刻」は私にとって(一般的にも?)、シリーズにおける最終作の位置づけだった。それだけに、7年間の期待値は非常に高かった。

私はプレイした。シナリオ・グラフィック・システム、そして文章とイラストと音楽、すべてが文句のつけようがない出来だった。そして、社会人になった私には理解できることが多々あった。ただ、もしかしたら私にとってラストのエピソードのみ、まだ分不相応かもしれない。だが、それはおそらく時が解決してくれるだろう。

 

2010年、あの時にあの曲に会っていなかったら、そして私がプレイをするのを待たなかったら、今ここに「サクラノ刻」をプレイした私はいなかったかもしれない。(でもどこかで出会っていたかもしれない。)

 

私はこのシリーズに途中乗車した人間だ。そんな私が話すのもおこがましいが、シリーズの完結を素直に祝いたい。おめでとう。そしてSCA自、ありがとう。

 

 

 

大物YouTubersyamu_gameについて語る

皆さんは大物YouTubeについて一度は耳にしたことがあるだろう。

きっとこの記事を開いた人間は朧げながらもグレイ型宇宙人のようなフォルムを思い出したはずだ。ちなみに本記事で敬語は使わない。

 

いまさらsyamuさんの紹介か?と思うだろう。

では今のsyamuさんがYouTubeをやっていることを知っているだろうか。

 

 

登録者1.21万人(2/28当時)でひっそりと動画をあげる投稿者へとなったsyamuさん、私には動画に映る彼が以前よりもイキイキしているように感じてしまう。

そんなsyamuさんについて語りたいと思う。

 

syamu_gameの軌跡

syamuさんの詳しい歴史はニコニコ大百科を見てくれ。

 

https://dic.nicovideo.jp/t/a/syamu%20game

 

前情報として覚えておいて欲しいのは以下引用である。

 

『2014年、当時YouTubeではHIKAKINを始めとするYouTuberが台頭し、動画投稿で多額の収益を得る人々が現れると、Syamuはこれに影響を受けたのかオーバーグラスをかけた自身の顔を公開して商品レビューやフリートーク、カラオケやダンスなど様々なジャンルの動画投稿を行った。

するとそれらの動画では、自身を過大評価したり、無意識に視聴者に対して尊大な態度を取ったり、ヨーグルトを掬ったスプーンでブルーベリージャムの瓶からジャムを掬おうとして、その前にスプーンに付いたヨーグルトを舐め取ったりなど、異常な発言や行動が目立つようになった。結果、淫夢民の月影という人物に目をつけられ、「ホモと学ぶシリーズ」タグとしてニコニコ動画に転載されるようになると、徐々にニコ動民の間で話題になり2ちゃんねるYouTube板でSyamuスレが立ち、その奇怪な姿や異様なトークから注目を集めていった。

さらに、ファン(特に女子)との交流を期待し、ファンを集めて宴会を開いたり映画館に入ったりという内容でオフ会の構想を立て始めた。ファンを名乗る者たちが賛同のコメントを寄せたこともあり、Syamuは最大で100人が集まると期待。ついに2014年平日8月11日12時、イオンモールりんくう泉南(通称・泉南イオン)でオフ会を開催したが、誰も来なかった。Syamuはなぜかこの様子を動画に収めて投稿したため、これがさらにニコ動で転載されると「オフ会0人」という文面の抜群のインパクトから後にTwitterで8月11日になるたびに何度もトレンド入りする程に延々と語り継がれるようになった。』

 

 

老子の言葉に「足るを知る」という言葉がある。簡単に言えば「何事に対しても満足できれば、幸せな気持ちで生きていける」ということだ。なんとなく私の言いたいことを察した人もいるだろうが、もう少し続けさせて欲しい。40分は話さないから安心してくれ。

 

ここでメキシコの漁師に関する逸話を紹介しよう。ここではあるブログを参照したい。

 

https://blog.tinect.jp/?p=63333

 

高須賀さんはメキシコの漁師を現代に当てはめてこう述べている。

現代社会では多様性が、なんでこんなにも尊ばれているのだろうか、と。

本当に「多様性」は我々に幸福をもたらすのだろうか、と。

残念ながら逆だ。

前述したポール ドーランは「幸福になりたいのなら、自分を幸せにしてくれるものに多くの注意を払え」と指摘する。(中略)

気の合うパートナーと家庭を築き、人間関係が安定したリベラルな職場で働き、週末は共通の趣味を持つ友人と過ごす。

SNSをやってるのなら、不快な話題を垂れ流す人は全員ブロックすればいい。

不快な話題を垂れ流す人は、あなたを不快に着目させる悪者である。』

 

 

高須賀さんの「個人の幸福は閉じた世界にある」指摘とは、まさにsyamuさんの名言「アンチは嫉妬でアンチコメするからユーザーブロックしてコメント削除」の世界なのだ。まあ彼の場合は再生リストを作ったファンの厚意も無碍にしたわけだが。

つまりsyamuさんに才能があったどうか定かではないものの、大物YouTuberに必要な精神性が足りなかったということである。ヒカキンは語る。「批判的な意見にも目を向けて、今もそういう意見をしっかり見て危機感を持っていくっていうのがYouTuberとして大事では」とのことだ。貝塚勃起土竜の完敗である。

 

"YouTubeドリーム"を語るMBA所持者のビジネスマンに唆されたsyamuさんは、意気揚々とネットの海を航海(後悔)し始めるわけだ。何度も復活する中、自分がただのメキシコの漁師だと知ったsyamuさんは、自分でできる範囲の動画投稿を始めた。

だから今のsyamuさんは「海はいい」と語るのかもしれない。



 

時代が巻き戻りつつあるアイマスのエンタメ戦略について

注意事項

アイマスの話をします。

・第三者目線に努めていますが批判的と捉えうるかもしれません、叩かないでください。

 

そもそもアイマスがコンテンツとして有力となりえた根底には声優を前に出す潮流に乗った部分が大きいと考えています。

これが前提となるので、上記に否定的であればこの記事の根底が崩れるので読まなくて良いと思います。

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最近、こんな動画を見た。

https://youtu.be/clMOq99YnQc

 

千早が約束を歌っている…!

PROJECT IM@S 3.0 VISIONの発表を含め、色々思ったことがあったので記事を書くことにした。

 

PROJECT IM@S 3.0 VISIONはコレ

https://youtu.be/IjEw3-vqTHs

 

声優とコンテンツの一体化を進めたアイマス

声優は元々背景と同じで、キャラとの分離を求められていた側面が多少なりとも存在した。

アイマスはかなり特殊な動きで、ゲーム→ライブ→アニメの流れであり、アイマス初期段階から声優の顔出し・プロモーションを行なっていた点から異質だったと感じる。かなり攻めたプロジェクトだったのではないだろうか。

そんなアイマスもいまでは複数のシリーズを抱えるほど大きくなった。

コンテンツとしての成熟フェーズを迎えているアイマスにおいて、運営は新たな方針を打ち出すという。それが"PROJECT IM@S 3.0 VISION"だ。

 

PROJECT IM@S 3.0 VISIONリスクヘッジ的な方針

この3.0に私は「リスクヘッジ」の面が大きいだろうと結論を下した。理由は以下である。

 

・声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった

・声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった

 

声優とコンテンツの一体化によるテールリスクが生じてしまった

 

声優とキャラの一体化を進めることでコンテンツが拡大したと述べたが、それによりリスクは増大化した。

最近の事例では、三峰結華の声優の話である。

私は入れ込んでいなかったため、あまり話をする立場にない。

そのため、以下のブログを読んでから本記事に戻ってきてほしい。

 


https://note.com/akiyuzuki/n/n2dc7059559de

 

悲しいかな、アイマスの売り方はこのような消費者行動にならざるを得ない戦略となっていた。この方の記事を引用すると、アイマス声優・アイマスガールズ・アイドル声優といった、キャストとしての役割ではなく、キャラクター自身との同一視から生まれてしまった世間からの見方がある。』ということである。

 

幕間

櫻井孝宏も不倫報道なんかあったよね、やらかしたことの大きさとポジションによって燃え方が変わるってことだと思う。

山寺宏一の不倫疑惑

櫻井孝宏の不倫報道

成海瑠奈の浮気発覚

山寺宏一を入れるのは失礼かもしれんけど比較のためにやっておこう。

三者の売り方がどれだけ表面に出す動きプロモーションだったかは結構大事だよね。山寺宏一の不倫疑惑が出るなんてもはや記憶の隅に残る程度だし、成海瑠奈なんて色々あったとはいえ法に触れてなくてあの騒ぎだよ。

 

幕間からあけまして

3.0で打ち出された方針とは、キャラと声優を独立させる動きを包含できるものである。

MRにおけるコンテンツの推進は声優を一度背景に戻す(上記ブログを引用するならば『キャストに戻す』)こととなる。

昔の方向性を含められるのは古参に向けたマーケット拡大にも寄与できるように感じるので、良い判断だと思う。

一方でいわゆる"Vtuber売り"をしてしまうと上記のリスクヘッジになり得ない点には注意したい。そこは運営もかなり力を入れるだろう。

 

 

 

声優の体力やスケジュールなど、物理的な限界に達してしまった

 

アイマスのシリーズ合同で推していく方針もリスクヘッジとなりうる。

何かしらのシリーズを推していれば離れる人間は相応に少なくなる。昔より二次元コンテンツへの抵抗感が薄れ、誰でも目にするようになった分、こうしたコンテンツの市場はかなり大きくなりカジュアルになった。

シリーズ合同には「解釈違いによる離反」が起きる確率が高まるものの、1シリーズを推していた消費者が2つ目へと食指を伸ばす確率と比較した際に上記の判断を下すに至ることは想像に難くない。

物理的(体力面)な限界ではASが例に挙げやすいだろう。

ALL STARS(+)においては近年公演数を抑えざるを得なくなり、これらは他シリーズにおいてもいずれ発生しうる。

合同化させることで体力面や開催規模においてもコントロールがしやすくなる。

 

ライブに参加しようと思って予習しようとなったら他シリーズを知らなければいけない→まずはサブスクで聞こう→興味出てきたから他シリーズもやろう

こんな将来の流れを運営は想像しているのではないだろうか。

 

総括

PROJECT IM@S 3.0 VISIONにおける戦略の第一目標は「どれだけ発生しうるリスクをヘッジするか」に終始した印象で、バンナムの方針がかなり守りに入ったと感じざるを得ない。

アイマス発起当初の攻めた戦略と違って真新しさはないものの、コンテンツの成熟期における判断として間違ってはいないのではないだろう。

私自身はあんまり良いとも悪いとも思ってないが、面白さ・ワクワク感というエンタメの根底に必要なエネルギーが運営から失われたんだろうという気持ちにはさせられた。

こうした戦略分析は熱狂的な消費者であるうちに考えられていたことか微妙なところである。むしろ本記事を記せた理由は、自分がそれだけコンテンツから離れてしまったということだろう。

WHITE ALBUM2 考察 _無印から続く真のテーマ

※今回記述する内容には多大なネタバレと私の大きすぎる解釈が含まれます。本作をプレイ後、ご自身の判断でお読みください。
 

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目次

はじめに

WHITE ALBUM2本編考察
 ・CCのヒロインから見るIC〜CCの展開分析

WHITE ALBUMシリーズ全体考察
 ・無印と2のメインヒロイン比較
 ・ICにおける巧妙なシナリオ構成

 ・CCにおける雪菜とかずさの立ち位置
 ・"WHITE ALBUM"とは何か
 ・緒方英二と冬馬曜子、緒方理奈と冬馬かずさ
 ・メインキャラクターの名前
 ・Codaにおける季節
 ・曲名、WHITE ALBUMから始まる3人の関係性
 ・曲から考察するWHITE ALBUM2
 ・ミニアフターストーリーが示すこと

おわりに

 

はじめに

WHITE ALBUM 2続編である。
なぜWHITE ALBUM 2は無印からの続編として作成したのだろうか。
テーマが"浮気"であり、舞台や使用曲が引き継がれているからという部分もあるが、シナリオの根幹が無印を発展させた完成形だからにほかならない。
そもそもWHITE ALBUMという題名は何なのだろうか。2は複雑で長編であり、単独ではテーマを掴むことが困難である。
その点は、シンプルすぎるほどのストーリー構成である無印と比較することで理解が易しくなる。無印の人気が2と相対して低いのは、物語としての完成度が高くなく、加えて深掘り不足によりテーマの把握が難しいからだ。
シンプルである無印と、複雑な2のニ作品をもって、私は適切な考察ができるものと解釈している。
また、"浮気"というテーマは本シリーズにおける「つかみ」であり、真のテーマは題名である"WHITE ALBUM"である。この点は2本編の考察、無印との比較を踏まえた上で記述する。
 
2の考察へ向かう前に、丸戸史明氏への賛辞を送らせて頂く。
無印と2のライターは別々である。シナリオ展開を無印と類似させつつ、無印で問題となった「物語としての完成度」を高めるため、各キャラの掘り下げを主軸にICから物語を展開させており、プレイヤーである私たちの理解を進めている。そして、IC〜CCにおいての呼応を行い、2から始めた人間にも充分な内容の理解、読後感を残すストーリーとなっている。最後に、Codaでは無印で語られなかったテーマへの回答を提示している
今回、丸戸史明氏が2を執筆するにあたり無印と2をどのような関わりを持たせたか、そして2がどれほど作り込まれているかを本稿をもって紹介できれば幸いである。
 

WHITE ALBUM2本編考察

IC〜CCへの展開分析
2ではそれぞれのチャプターでシナリオ上の役割が異なる。ICでは問題提起が、CCでは各ヒロインにおいてICへのアンサーとともにCodaへのヒントが、Codaではテーマへのアンサーが示されている。Codaで示されるアンサーについては、無印との比較を終えたのちに記述することとする。まずはICから考察する。
 
ICは2人(雪菜とかずさ)のどちらを取るか揺れる春希が、どちらも選びきれなかったことによるバッドエンドを迎えるというシナリオ展開である。
これが掴みのテーマである"浮気"であるが、浮気はICの持つ役割におけるテーマであり、Codaで示される真のテーマとは異なる
 
ICエンドとCCノーマルエンド
ICは各人への関係性に決着をつけないまま、時間が過ぎていくことによって終結した(「時間」という要素は、後述する本シリーズの要素として重要であるため、心に留めておいて頂きたい)。
CCノーマルエンドでは上記の通り、時間が過ぎていくことによって答えを保留した状態であり、明確なアンサーが成されず終了する。

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ではCCでの各ヒロイン√はどのような立ち位置であるだろうか。
 
IC雪菜=CC千晶
CCにおいてはかずさが登場せず、ICでの各キャラはCCの各ヒロインへと投射されている。
千晶Goodエンドでは、千晶が演劇とともに、春希とも別れない決断を下した。
千晶は春希の高校時代を知っており、想い人がいることを理解している。その中、理由は異なるものの春希の関係性に踏み込み、春希をある種ゲットした√といえる(ICにおける、かずさが好きだと知っているにもかかわらず、春希をゲットした雪菜)。Goodエンドでは、その後に自分の本来の目的であった演劇に対して揺らぎが生じ始める。これはIC雪菜で示された「3人で一緒にいたい」という想いと重ねられる。しかしながら、千晶は春希と演劇という2つを両立することを選択した。

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IC雪菜はかずさと春希の関係性を察しつつも、欲張れなかったことがICのエンドを迎えた展開であった。千晶√はその展開とは一線を画すものとなる。この点において、ICでの雪菜のアンサーを示している。
 
IC かずさ=CC 麻理
麻理は仕事の夢と春希の選択を迫られる。かずさでいう「ピアノと春希」と解釈でき、実際に海外へ行くという決断をしている。
ICと異なる点は春希と友人である佐和子にある。
海外に行くことを決めた麻理に対し、春希は海外へ行くことを決意し、空港で再会した。この点は明確にICかずさと異なる点であるが、ここには佐和子の助力が大きい。
麻理は佐和子という第三者の立場がいることによって、相談が可能だった。また、春希は佐和子の協力により麻理と再会ができた。

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ICかずさには友人がいないということが大きく影響しており、なんでも一人で決めてしまう・察してくれという姿勢という部分で春希とのすれ違いを発生させたことがICエンドへと導いていた要因であった。
 
IC 春希=CC小春
CCでは「小春希」というワードがあるように、たびたび小春と春樹を結びつける示唆がある。
小春は美穂子という親友を裏切り、春希と結ばれたことで高校でいじめに遭った。最終的に小春が出した結論は、春希(ICかずさ)をとり、加えて美穂子(IC雪菜)と仲直りを模索すること。そして、ICでの過去を小春が清算している(雪菜との対話)
雪菜は春希と小春との対話で見せる顔が異なっており、印象的なCGであった。雪菜は春希には笑顔で返している。

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ICで春希が雪菜を裏切り、雪菜はそれを許す結果となったように、CCでも春希は雪菜に許されている。春希はあくまで報告にすぎず、過去の清算をしたわけではない。
「大団円へ」というサブタイトルは、「小春」における解釈である。きちんと関係性に向き合った小春は、Goodエンドを迎えた。これは最後に表示される色彩調のを迎えたCGによって示唆されており、(色彩調という表現が抽象的ではあるため正しい解釈かは疑問が残るものの、)Codaの雪菜Good(Grand)エンドでの結婚式のCGと重なる。小春√はICにおける春希という特殊な立ち位置であることがCGに表れている。
しかしながら、小春√のエンドCGには小春しか映っていない。
詳細は後述するが、Codaの雪菜Goodは周囲を取り巻く問題を3人全員で解決しているため三人称視点で描かれているという部分が大きな相違点である。
 

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CC雪菜
CCにおける雪菜はCodaへの導入であり、ここでは各√ヒロインを踏まえて、春希が一旦の答えを出したこと(ギターを弾くこと)によりエンドを迎える。ICとのCG比較が印象的であるが、雪の描写(冬)で終わっている。

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WHITE ALBUM2におけるエンドは、小春√で前述した通り「春」を迎える。このエンディングがGrand EDではないことを教えてくれる。
 

シリーズ全体考察

無印と2のメインヒロイン比較
無印をプレイしていない方々へ簡単な紹介をすると、無印では由綺という彼女がアイドルとなり、一般人である彼女がだんだんと有名人となっていく中で、揺れる冬弥(主人公)を描写した作品となっている。由綺の所属する事務所で既に人気アイドルである理奈が登場し、物語は冬弥、由綺、理奈の三角関係へと進んでいく。
由綺
理奈
無印では、由綺が正ヒロインとしてエンドを迎えることとなっている。
 
 
 
では、2のメインヒロインである雪菜とかずさは由綺と理奈それぞれどちらと対応するか、その点について掘り下げて行きたい。
 
ICにおける巧妙なシナリオ構成
既に2をプレイした方はご存知の通り、正史におけるヒロインは雪菜である。
ICのみに焦点を絞ると、正ヒロインはかずさであった(理由は後述する)。しかしながら、CC以降から正ヒロインが雪菜であったとプレイヤーは気付かされることとなる。
無印で提起された問題は、「社会と個人的な感情どちらをとるか」というものであった。
由綺についたマネージャーである篠塚弥生(サブヒロイン)は、「アイドルとなった由綺にとって冬弥の存在は邪魔だ。私が代わりとなっても良いから由綺と別れろ」と迫ってくる。
 
 
由綺はアイドルとしての社会的側面を持つつつも、冬弥からすれば恋人という個人感情を持つキャラクターである。
冬弥・由綺はお互いアイドルとして生きる由綺(社会)をとるか、恋人として生きる由綺(個人)をとるかに悩むこととなる。
ICにとって、春希とかずさは無印と同様の選択を迫られる。これは2通りの意味で解釈でき、かずさのピアニストとしての才能(社会)とかずさ・春希(個人感情)。そして既に春希と付き合っている雪菜(社会)とかずさ・春希(個人感情)である。依緒や武也の存在は、「社会性を反し、かずさをとる」という春希の行動をより一層引き立たせている。
このようなシナリオ構成から、ICを起点とした無印との比較においては、由綺=かずさ 理奈=雪菜という解釈ができる。
グラフィックや演出においても同様で、まず見た目から由綺とかずさ、理奈と雪菜は類似している
 
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また学園での立ち位置では、かずさは人々から見向きもされなかった一方、雪菜は既に人気者だ。
文化祭を機にかずさが人気になり始める、という構図も、アイドルとして売れ始めた由綺と類似する。
 
当時話題となった、「ここが、あの女のハウスね…」というワード。
2003年12月16日・flash「ホワイトアルバム」・67点
これはニコニコ動画で作成されたMADのネタであり、無印の理奈が由綺の家へ向かう際に発した言葉である。
2では公式がこのMADを採用し、雪菜はかずさのいる第二音楽室に入る合言葉としてこの発言をした「公式採用した小ネタ」と見るのが普通だが、プレイし終えてみると実は雪菜=理奈と見せようとする公式側の策略だったのではないかと邪推してしまいそうになる。
 
このように様々な要素から、かずさ=由綺、雪菜=理奈と考えられる。しかしながら、ICはあくまでキャラクターの深掘りと問題提起であり、選択肢がほぼなかったようにICは「過去回想」としての立ち位置にある。つまりICを起点とした無印との比較は誤りであり、本来現在進行形としてプレイングしているCCこそが、無印との比較に適しているのである。
 
CCにおける雪菜とかずさの立ち位置
CCでかずさは海外で活躍するピアニストとなったことが判明する。日本でソロの公演ができるクラス、というのは人気アイドルに相当する。
一方、雪菜はミス峰城と騒がれる一般人の領域であると強調される。ICで朋が憧れていた雪菜は、朋に落胆されるような存在となってしまった。朋は「精一杯努力をして芸能界に入ろうとする」という一般人としての解釈を際立たせる存在である。そんな朋が憧れたICでの雪菜は理奈に相当したかもしれないが、CCの後半で「友達」となった雪菜と朋の描写は、まさに雪菜が由綺であることを示していた。
 
また、CCでは春希が出版社でのバイトを通して、かずさ自身の活躍を知る。
無印では冬弥が「テレビ局のアルバイトや由綺との関わりの中で理奈と出会う」という描写がある。
無印では、遠くにいた存在(理奈)と。2では、遠くに行ってしまった存在(かずさ)と接触する。
ICを起点として無印を考えると、海外へ(手の届かないところへ)行ってしまったかずさ=由綺であり、前述の通り雪菜=理奈といっても差し支えないが、CCを起点にすることで無印におけるかずさ=理奈であるという示唆が少しずつ表されていく。
 
 

"WHITE ALBUM"とは何か

今までの点をもって、Codaで示された真のテーマ(WHITE ALBUM)とは何か、そして示されたアンサーは何かを考察したい。
 

WHITE ALBUMとは「まっさらな関係性」

無印では由綺と付き合っている状況において、環境が変わってもその関係を維持できるかがテーマであった。冬弥は、周囲の人間に浮気することはあれど、由綺のエンディングでは周囲の人間(ヒロインたち)に、冬弥と由綺が本当に愛し合っていることに気付かされる。社会と個人感情、どちらを取るではなく、お互いに歩み寄り、対話することでどちらも捨てない」という選択をもって、WHITE ALBUMはエンディングを迎える。
2では、特に「社会との関わりを捨ててはいけない」ということと、「一からやり直そう」というフレーズが繰り返し使われる。
無印は、このテーマへ辿り着くことが難解である。冬弥と由綺がなぜこのような選択ができたか、という深掘りが不足しているからだ。
無印では、由綺と理奈が分かり合う、という描写が多く語られない。なぜ三角関係が解消されたのか、という点が疑問に残ったプレイヤーも少なくはないように感じる。
 
この無印で示されなかった点を明瞭に描写した2のCodaへと話を進めたい。
 
緒方英二と冬馬曜子、緒方理奈と冬馬かずさ
前置きが長くなり恐縮だが、冬馬曜子の役割を説明することでCodaをより深く理解できる。
無印で登場する緒方英二とは、人気アイドル緒方理奈の兄であり、理奈のプロデューサーとして登場する。WHITE ALBUM(曲名)やSound of Destinyは、全て英二が作成したものである。
 
英二
緒方 英二(おがた えいじ) | WHITE ALBUM -綴られる冬の想い出-
 
理奈とかずさは、兄妹と親子という違いこそあれど、天才を親類に持ち、自らも天賦の才を持つという環境は近い。
無印で緒方理奈は自身の力を発揮し、人気アイドルとなった。一方冬馬かずさはICで親に捨てられたと塞ぎ込んでしまう。理奈=かずさであることを前述したものの、ICかずさが理奈と結び付けられる部分は少ない。
理奈はCC〜Codaのかずさである。理奈は英二に反目しつつも信頼を寄せており、かずさも曜子へ同様の姿勢で接する。
無印では、英二が由綺をプロデュースする中で、理奈を次第に放任させていく。理奈はこの英二の行動を、「由綺が英二を持って行った」と解釈する。
これは、由綺=才能とみるのであれば、「曜子が音楽の才能のないかずさを置いて行った」こと
そして、由綺=1人の女性と見るのであれば、「雪菜が春希を持って行った」ことと対応する。
どちらも解釈が可能だが、こちらは下記のシナリオ展開から後者の解釈が適切であると私は考えている。
 
かずさは曜子への想いを春希に投射
理奈は英二への想いを冬弥に投射
 
2初プレイ時の感想となるが、私はCodaにおいて、なぜ『春希が好き』という純粋なかずさの想いが、雪菜Goodにおいて昇華されたのか疑問に感じていた。様々な作品において、当初示された問題の論点を後半ですり替えて、「それっぽいエンドにする」手法は用いられやすい。
その疑問点は、上記の「家族への想いを主人公に投射する」というヒロインの前提に立てば解消することができる。
冬馬かずさが春希を好いていたことは勿論異性として、でもあるが、同時に孤立した自分に手を差し伸べてくれる存在であるという部分が大きい。Codaでは冬馬曜子が病気で長くないかもしれない=かずさが1人になるという点が大きく取り上げられる。つまり、春希・かずさ・雪菜の関係性は、純粋な異性としての関係ではなく、歪んでしまったかずさの価値観が作り出したものでもあるのだ。
 
上記の前提において、2では冬馬と雪菜の三角関係を産んだ源泉を、3人がその環境ごと解決するという方法によって解消した。
つまり、無印で語られなかった部分から進んで"2"となることを私たちに示している。
 

メインキャラクターの名前

"冬"馬かずさ

"北""春"
小木曽"雪"
雪菜Goodのエンディングでは「時の魔法」とともに冬から春への移り変わりを示している。
WHITE ALBUM2において季節は大きな意味を持ち、降り積もる雪は、すべての罪を覆い隠し。雪解けと共に、すべての罰を下す」というフレーズが用いられる。冬から春という季節の移り変わりは、問題の発生から結果までの一連の過程を表すものである。
名前という点において、季節が関わっているのは冬馬かずさの場合、"冬"馬であり家系丸ごとである。苗字に季節の名前を入れた理由は、冬に発生する問題がかずさ本人ではなく「冬馬にある」ことを示しているからである。
つまり、雪菜においては雪菜自身、かずさは冬馬家、という対比が見える。
では春希の抱える問題とは何か、それは"北"原=母親との確執である。
そもそも、かずさが孤独感を持っていたことに対して、手を差し伸べた理由は何か。これは異性としてかずさを見ていたとともに、母親との関係をうまく構築できなかった自分と共感する部分があったからである。
北から冬はやってくる、"北"原家という確執がなければ、"冬"馬に共感しない。Codaでは、春希は繰り返し「かずさには俺しか残っていない」「雪菜には頼れる存在がいる」という主旨の発言をする。これは、春希が手を差し伸べるべき相手を「支える人がいるか」という判断基準で揺れ動いていたことが明らかとなる部分である。
 
依緒から春希に向けて
 
 「雪菜は色々ないからいいんだ?一人ぼっちじゃないから捨ててもいいんだ?」
 「言ってるよ春希…雪菜は自分がいなくても一人じゃないから、
 可哀想じゃないから捨ててもいいって、言ってるよ…」
 
ICで春希が空港に向かう中で
 
 唯一の救いは…
 雪菜が今、独りぼっちじゃないってこと。
 俺がいなくても、家族の皆が、
 彼女の寂しさを和らげてくれるだろうってこと。
 
繰り返しとなるが、ICでは曜子がいない(置いていかれた)ことが、そしてCodaは曜子いなくなってしまう(死去する)ことが春希にとって揺れ動くきっかけとなっている。
2の全編を通して、はっきりと決断しなかった春希の罪は、雪菜による救いが差し伸べられる。
ICではエンディングにおいて春希が雪菜を捨てたにも関わらず、雪菜はそれを許した。

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CodaではかずさNormalで精神崩壊を起こし、アフターストーリーである「不倶戴天の君へ」に続く。ここでは雪菜が春希を世話する描写が窺える。
どの√でも冬で発生した問題が時間の経過を持って発覚している流れである。
 
Codaにおける季節
Codaで冬に起こるかずさとの再会によって、物語は再び動き出しているが、かずさNormalでの春希は社会との関わり」を捨てる決断をし、かずさと逃避行へと走った。かずさはそんな春希を見て、自分1人ウィーンへ帰る決断をする。春希はかずさと冬を越えられなかった。

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かずさは社会性を持つことを諦めた春希を認めなかった。これは、ICで惹かれた春希が、社会性を持った春希であったからである。「社会と関わる」というフレーズのみでは、かずさGoodも社会性を捨てたと一見感じられるが、前述したCCでの小春√を思い出すと、小春は周囲への対話をもって春を迎えた小春√が小春にとってのGrand EDであったように、かずさは「自分を選ぶという覚悟」を「春希が今まで積み重ねた日本での関係性を全て捨てることを自ら選び、対話すること」によって見出せると感じていた。冬馬を丸ごと春希が背負うことで、初めてかずさGoodへと辿り着ける構成である。
かずさGoodで春希は雪菜の家族へ婚約の破談を申し入れるが、孝宏には殴られ、雪菜の父親には「他人」と言われてしまった。
 
しかしながら、「社会と関わる」というのは答えを出すことにある。例え殴られたとしても、「社会との関わりを捨てず、過去を清算した」春希だからこそ、かずさは春希と海外へ進むことを選択したのである
 

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ては、雪菜Good(Grand ED)はどのようなエンディングといえるのか。
前述した無印では、テーマである「社会と個人感情、どちらを取るではなく、お互いに歩み寄り、対話することでどちらも捨てない」という結末を迎えている。それは、2で表す場合、「雪菜に許されるという結末を迎えない」ことである。
雪菜Goodでは、時の魔法を歌う=春のエンディングであり、春希が映った第三者目線での色彩調の春のCGで終わる。雪菜が許したのではなく、春希・かずさ・雪菜の三者が冬(冬馬家)の問題を、解決したことで初めて春が訪れたことを伝えてくれる。その証明として、春希は母親との確執を解消できることへと繋がった。
 

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曲名、WHITE ALBUMから始まる3人の関係性

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WHITE ALBUMとは「関係性がまっさらな状態」を示唆するが、これは2 IC冒頭におけるWHITE ALBUMのセッションにおいて二つの解釈が可能である。
1.  3人の関係性の始まり
2.  (かずさ春希両名にとって) 雪菜との関係性の始まり
1は理解しやすい。プレイヤー目線で見ると、「3人がセッションした瞬間に関係性が始まった」と解釈できる。
しかしこの解釈だと、IC終了後に示されるかずさと春希の夏のストーリーとの整合性が取れない。既にセッション自体は冬馬と春希で行っており、冬馬は既にギターが春希であると認識していたとみて良いだろう。その前提においては、最初に関係性を構築したのはかずさと春希の2人であり、後から入ってきた雪菜は2人の関係性に割って入ったということになる。
無印でいえば、恋人同士であった由綺と冬弥に割って入った理奈と同じ捉え方」ということである。
これは、ICでバッドエンドを迎えた雪菜の負い目「私が割って入ったんだ」という考え方と重なる。
雪菜≠理奈である上、2においてもICのバッドエンドは「割って入った」という考え方が正しくないことを示している。つまり、正しくは2. 雪菜との関係性の始まりである。WHITE ALBUMのセッションは、かずさと雪菜、春希と雪菜の関係性の構築が始まりを示したものである。
 
本来こういったシナリオゲームにおいては、主人公とヒロインの関係性の深掘りがメインとなるが、WHITE ALBUM2においてはヒロイン同士の関係性に言及している。こうした部分からも、WHITE ALBUM2がどれだけ傑作であるかを教えてくれる。
 
ここで、かずさと雪菜の関係性とは何かを考えたい。
かずさは物語において心を開く相手が少なかったが、かずさから雪菜に対する「不倶戴天の敵になるか、生涯の大親友になるか」という発言にもあるように、良くも悪くも心を開く相手となった。ICでは、雪菜による猛アプローチから関係性が構築されていった点も春希からかずさへの接し方と似通う。
かずさと雪菜の関係性は、冬馬家の話に雪菜がCodaまで立ちいらないことで、長い伏線となっている。雪菜がかずさとの関係性を正しいものとするためには、冬馬かずさにおける"冬"馬を知ることが必要であり、雪菜Goodで初めて雪菜は冬馬家を知り、生涯の大親友となることができたのである。
 

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曲から考察するWHITE ALBUM2

「Closing」
かずさGoodではClosingがEDとして流れるが、Closing Chapterの次にCodaが存在したシナリオ構成から考える「Closing」はClose(終わる)ことを示していない。つまりこれはかずさGoodがGrand EDではないことを示しており、正史は雪菜Goodであることは明らかである。
 
ここで音楽用語で用いられるCloseの意味を引用する。
 
 close harmony  密集和声
 密集位置の和音による和声。
 close position  密集位置
 ある和音の構成音を密集状態で配置したもの。
 
楽曲用語としてのCloseには構成環境の密集という定義を含めた考え方がある。CodaのOPで意味が出てくるように、Closingにも音楽用語としての意味を持つと考えることも可能だと考える。
 

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勿論、ここで使われるCloseは形容詞であるため、動詞と同様に捉えることが誤りであることは理解しているが、かずさも含め、ヒロイン全員が出てくることはClosing Chapterと呼んでも差し支えないのではないだろうか。
 
「POWDER SNOW」
かずさGoodでは、雪菜が歌ったPOWDER SNOWが印象的である。当時は雪菜死亡説なんて噂も流布したが、公式の否定により騒ぎは収まっていた。
前述した「Closing」が終わりを示さないということを念頭に置き、雪菜から送られてきた「POWDER SNOW」を考察する。
 

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歌詞の中では、「I still love you」という部分が存在する。
この"you"が春希を示すのか、それとも春希とかずさの2人を示すか解釈が分かれる。
WHITE ALBUMのセッションは、前述した通り雪菜が春希とかずさそれぞれと関係性を構築したという解釈が正しいということが示された。
その解釈において、雪菜との関係性はかずさと春希の両名にあり、POWDER SNOWを春希にだけ聞いてほしいと明言しているわけでもない。ここから、2人に向けた"you"と捉えられる。
 
かずさの状況("冬"馬の部分)を雪菜が知ることのないまま、かずさは春希とともにウィーン行ってしまった。こうしたかずさGoodでは、雪菜自身も春希とかずさの2人を救えていない」という考え方ができる。かずさNormalのアフターストーリーである「不倶戴天の君へ」では、雪菜はかずさにとって「生涯の大親友」としてではなく、「不倶戴天の敵」となってしまったことが示される。

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POWDER SNOWは別れの曲であり、「I still love you」という歌詞とともに、「粉雪のようなあなたは 汚れなく綺麗で 私もなりたいと 雪に願う」という歌詞が流れる。
「雪は罪を隠す」というフレーズは本編で語られるが、考察を進めていく中で「雪(雪菜)は救う存在となる」ことが示された。これを踏まえて、雪菜はPOWDER SNOWの歌詞の中で雪の存在になれなかったことも同時に示している。
「雪菜がどのような気持ちで歌ったか」をフォーカスするのは解釈がかなり多岐にわたるが、シナリオ構成としての曲の描写のされ方では、上記のような解釈で整合性がとれるのではないだろうか。
 
「時の魔法」
雪菜Goodのエンディングで流れる時の魔法は、WHITE ALBUMというテーマを教えてくれる。
それは、「ゼロからonce again」という歌詞である。「WHITE ALBUM=まっさらな関係性」とは、ゼロからスタートするということであり、まさに歌詞の通りとなった。
WHITE ALBUMを3人で作り直そうともとれる。
ICで初めてWHITE ALBUMをセッションした際の解釈に記述した通り、雪菜とかずさ、雪菜と春希のお互いのそれぞれの関係性をスタートしたものであった。時の魔法は、3人でのリスタートを願う歌詞として解釈が可能となる曲であると考察を踏まえて再認識することができる。
 

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小ネタ話
CodaのOPで採用された「雪菜がかずさの頬を打つCG」は、無印をプレイした人間にはピンときたように、由綺=雪菜、理奈=かずさであることが明白となった。
OPに使われたこともあり、ここでどちらがシナリオ上、正ヒロインに選ばれるかに察した人もいるかもしれない。
1986年の女子大生アイドル[ホワイトアルバム] | 木津貴泰の趣味日記

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ミニアフターストーリー

幸せへと戻る道
かずさGoodのアフターストーリー。過去を清算しても、帰るところなんてないと自戒する春希とかずさであったが、外と触れ合って生きていく」という重要性とともに、曜子たっての希望として日本へ帰国する。

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そんな中、かずさは曜子が雪菜の家に一連の騒動を謝りに行ったことを知る。これは、かずさが向き合わなかった分の尻拭い。文章の中には、雪菜も家族を説得する描写がなされている。ここでも雪菜の「許し」が出ている。
 
そして終盤。「もう一度ここから始めよう」と高校の第二音楽室で結婚式を挙げる
かずさGoodにおける、Grand EDを迎えるということが示される。
 
幸せへと進む道
雪菜と結婚式を挙げ、新居へと引っ越そうとする雪菜と春希、そして結婚を考える武也と依緒のストーリーが中盤に描写される。
仕事で忙しくなってしまいクリスマスを予定通り祝えなかった春希と雪菜であったが、お互いをよく理解し合った2人には、もう問題とはならなかった。春希と雪菜の会話、そして春希と武也の会話は仕事の話、そして育児休暇の話と、とにかく世間らしさのある表現が多い。嫌になる程リアルな社会人の会話である。まさに社会と関わって生きていく」を主題としている。
 

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両者の比較にも軽く触れる。
まずは生活感の違い。今までもよく登場していたので当たり前かもしれないが、高級ワインと共に外食する冬馬家に対し、雪菜たちは缶ビールと鍋を夕食としている。
そして冬馬家の作るおせちに口を出せない春希と、鍋奉行と化した春希。
会った時から顔が好きだったと話した春希を振り返るかずさと、アルバイトをしてたことは知っていたがそれほど見てなかったことを聞き落胆する雪菜。
 
幸せへと戻る道・幸せへと進む道は端的にこの作品を表しているように思う
WHITE ALBUMにおける幸せとは、正しさである。正しさは、「社会と個人感情、どちらを取るではなく、お互いに歩み寄り、対話することでどちらも捨てない」ことである。
と、私は解釈している。
正しく進むために、結婚式を行うかずさ。そして正しく進んだ先に、子どもをもうけた雪菜。
どちらもそれぞれのEDに対する正当なアフターストーリーであり、今まで散りばめられた要素を回収してくれる物語だった。
 

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WHITE ALBUM2では「時間」という言葉の重要性を教えてくれる。それは良くも悪くも、影響を与えてくれるものである。
 
 

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 とうとう、降ってきた。
 一番大切なものを失った日にも、
 やっぱり、俺の前にその白い姿を見せてくれた。
 
 雪は、覆い隠してくれる。
 辛いこと、哀しいこと。
 そして、見たくもない真実を。
 ただ白く、綺麗なだけの世界を目の前に広げ、
 俺たちを、そこに置き去りにしてくれる。
 
 けれど、所詮雪は雪であり。
 一度解けたら、そうやって隠していた事実を、
 忘れていた想いを、もう一度白日の下にさらす。
 黒く汚れ、ぐちゃぐちゃに踏み潰された泥のように。
 
「Introductory Chapter」より
 
ICの時の春希の罪は、時間と共にあらわになっていき、大きな傷を作った。その傷は、CCのヒロインによって癒され、雪菜と向き合うことができた。かずさNormalでの傷は、時間が経つことで徐々に回復へと向かっていった。
 
 

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 冬が来る、そして春も来る。
 もう、来ない季節はない。
 そんなのは当たり前のこと、ただの自然現象。
 自分の人生とは関係のない、巡る季節の話。
 だから、一緒に季節を巡っていこう。
 冬も、春も、夏も、秋も
 どの季節の君も、俺にとっては必要なんだから。
 
 
 
 雪菜が側にいなければ、俺は壊れたままだった。
 けれど、雪菜がいただけじゃ、
 やっぱり、俺は壊れたままだったと思う。
 薬に診療。
 周囲の理解、尽力。
 そして、時間の経過。
 あのときの俺にとって、どれも欠かせないものだけども、
 それでも、一番効いたのが、結果的に時間だっただけ。
 
「不倶戴天の君へ」より
 

おわりに

 
どんなに大きな困難があっても、時間と努力をもって解決できることを教えてくれる、WHITE ALBUM2はそんな素敵なシナリオであった。
 
WHITE ALBUM2シナリオライターである丸戸史明氏、そしてLeaf/AQUAPLUSスタッフの皆さんに感謝の思いをこめて、考察を締める。
 
2021年 12月31日 (12536字)

パチスロと交換所の話

おはようございますこんにちはこんばんは、ガノンドロフです。

今回は下記2本立てでお送り致します。

1.P-World非掲載店に行った話

2.交換所が見つけられずに7000発分が未交換という話

ちなみに、パチンコスロットをしたことがない人もわかるような記事にしておりますので、ぜひ興味があれば読んでみてください。

 

まずは1つ目からお話していきます。

1.P-World非掲載店に行った話

P-Worldとは

P-World(https://www.p-world.co.jp/index.html)は、パチンコを打ったことがある人なら誰しもご存知でしょう、パチンコホールや機種情報などをインターネットで検索できるサイトです。

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日本中の99%以上のホールが登録されており、調べるとホールの住所や打てる機種がわかります。機種とホールが結びついているので、「この機種が打ちたい!」と思えば機種から置いてあるホールを調べ、打ちに行くことができるわけです。

 

話を戻して、P-Worldはあくまでホール側の登録や更新で成り立っているので、登録していないホールもごく少数存在します。そうしたお店は、何らかの理由でインターネットに顔出しできないんじゃないか?私はそう思い、インターネットの海の中を探検気分でサーフィンし、非掲載店を発見しました。

店内の様子

入店してみると、やはり少し違う雰囲気でした。

普通のホールは店員が店内を徘徊し、ずらっと並んだパチンコやスロットの台の調整や清掃、客対応などをしています。小さい店でも50台くらいは機種があります。

今回行ったところは、スロット台のみで20台ほどしかなく、店の大きさは子供の秘密基地程度でした。しかし、驚くことにめちゃくちゃ懐かしい台(普通のホールでは見つけられない台ばかり)が置いてありました。さらに店員がいない、バックで休んでるのか知らないけど誰も出てこない。さすが非掲載店という感じでした。

 

昔の台が多い理由を一応考察すると、スロット台は大きなゲーム機みたいなものなので、新しいものほど値段は高いですし、新しいからという理由で客も打ちに来ます。なので、普通のホールは昔の台を店から外し、新しい台を入れるわけです(これがいわゆる『新台入替』です。)しかし、小さいホールには新台を買う経済的体力がないので、入れ替えることができません。そのため、昔の台(特に人気がなかった台)がたくさん置いてあったのだと思います。

 

珍古台を打つぞ!

打った機種は「パチスロ おとめ妖怪ざくろ

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いやーーーーーーーこんなのふつう打てない、P-World掲載店で調べたら、星の数ほどホールがある中、日本で4店舗しかない

それもホールが更新してなかったらP-Worldを見てホールに行ってみても置いてないなんてこともあるわけです。

そんなわけで、うきうきで打って12000円負けました。 

 

 

では次の話をしていきましょう。

2.交換所が見つけられずに7000発分が未交換という話

交換所とは何か

パチンコで勝った、負けたという話を耳にしたことはあるでしょうか

勝った=お金が増えた 負けた=お金が減ったなわけです。

また、パチンコはベースレートが1発4円、スロットは1枚20円です。

そのため、1パチとは1発1円、5円スロットとは1枚5円ということになります。

一般的なレートは4パチ、1パチ、20スロ、5スロで、それ以外にもいろいろホールが設定できますが、法律で4パチ、20スロ以上のレートは禁止されています。

 

時々摘発される闇スロット店とは、このレート以上でやっていることがほとんどです(ほかにも法律で禁止されていることは色々あります。)。

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ここからの話は法律上の表現を使います。

パチンコやスロットは遊戯であり、ホールから指定されたレートでメダルや玉を借りて遊ぶというものです。もし、4パチで1000発(4000円)使って2000発出たとすると、その分をホールのカウンターで景品と交換できます。お菓子や飲み物、家電、コスメなど、たくさんの物品と交換が可能です。ただ、基本的には特殊景品というものに交換されます(言えば普通の物品にも交換可能です)。特殊景品は、特定の古物商へもっていくと、その景品を買い取ってくれます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つまりホールでお金を使い、特定の古物商(東京ならTUCショップ)でお金が戻ってくるという形でできているので、パチンコスロットとはギャンブルではありません!という壮大な茶番なんですね。

※ここから特定の古物商というのは怠いので、便宜的に交換所と呼びます。

 

交換所は都道府県によって形が様々

特殊景品は、東京だとTUCショップでどこでも買い取ってもらえます。例えば、新宿でパチンコを打って、家の近くのTUCショップで買い取ってもらうことが可能なわけです。

今回は神奈川の話をしますが、神奈川は組合が統一されていないので、ホールで交換した特殊景品は、所定の交換所に行かないと交換してもらえません。また、法律云々の問題で交換所はGoogle Mapにも出てこないので、特殊景品を入手しても交換所が見つけられないと交換できないわけです。

 

7000発が未交換

さて、本題に戻ります。

私は珍古台探しの続きで、「CR仄暗い水の底からFPMZ」を打ちに行きました。

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173店舗ならまあまあ多くない?と思うかもしれませんが、1万店弱ある日本のホールが分母なので、2%くらいしか置いていないかなりのレア台です。

 

バスを2回乗り継いで店に行きましたが、完全なる田舎のパチンコ屋。

めちゃくちゃ常連そうなじいさんばあさん3人くらいしかいない閑古鳥が鳴くホールでしたが、上記の理由で新台入替がないからこそ置いてあったのでしょう。

これは1パチコーナーにあったので、まあ資金に問題ないだろうと思い座りました。

 

すると、まあまあ当たりまして、7000発プラスになったわけです。私はラッキーと思いながらカウンターにもっていき、特殊景品を手にしました。

 

しかし、ここで問題の事態が起きます。

 

交換所が見つからない

法律の問題で、交換所の場所は店員に聞いても教えてくれないことが多いのですが、こちらも多分に漏れず、教えてもらえませんでした。

仕方ないので周りを徘徊しましたが、マジで見つからない。かなりパチンコ屋に行っていたので、交換所の雰囲気はかなりつかんでる方ですが、全く見つかりません。

普通は交換所に向かうほかの客をストーキングして見つけるのですが、ホールに交換しそうな客は全くいないので、その線も潰えました。

30分ほど店の周囲をぐるぐるしましたが、やはり見つかりません。

さすがに田舎なので周りの住民の目が怖くなってきました。

 

私は、最後の望みをかけて店の裏口の2階にある謎のドアを開きます。

ギイィィィと音が鳴りつつ中をのぞくと、そこには休憩中のホールの店員

完全にやっちまいまして、逃げるように店を後にしました。ホールの店員はタバコ吸いながらパン食ってました、食うか吸うかどっちかにしろ。

 

 

結局、交換所が見つかっていません。

7000発分(1パチ)の特殊景品が今家にあります。

一人で行くのは厳しいので誰か一緒に探しませんか?2000発分あげます。ガチです。

場所は川崎からそう遠くないです。宜しくお願い致します。

 

 

 

 

4年間通った私が考える大学不要論に対するアンサー

こんにちは、大学をもうすぐ卒業できるであろう(?)ガノンドロフです。

終わりゆく大学生活で何をしているか?ゲームかyoutubeか麻雀です。

 

 

今回は最近次第に声が大きくなってきた大学不要論に対する考えを書きます。

あくまで一般的な(大学不要論のやり玉に挙げられている)大学生の話です。

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クソ文系大学生にも大学は必要だ

大学は4年間という時間を保証するもの

私は大学生活を

「卒業できる程度の学業を行うことで自由を保障してくれる時間」だと考えます。

 

大学で勉強したことなんて就職したら使わないという大人、たくさんいます。

一般的な大学生活を送っている学生に対してのこの考えには私も同意します。

しかしながら、大学生活で得た知識や知恵は多大に使っていると思います。

 

社会人と交流して課外活動を取り組んだ経験があって実感しますが、高校まででは絶対ついていけなかったと思います。でもそれまでの時間やっていたことは、少しの学業、サークル活動、バイトで、あとは引きこもりに近かったです。それでも、その時間で「何か」を私は掴んでいたのだと肌で感じています。

 

日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。

 

 太宰治の著した「パンドラの匣」の一節です。

私は勉強以外にもこの考えが言えると思うのです。

 

アルタ前に酔いつぶれていた経験も、ゲイバーに行った経験も、コナンを1話から全話見た経験も、パワプロ昼夜逆転してやった経験も、スロットで生計を立てていた経験も

きっと一見何の役にも立たないような経験がどこかに生きて、活きているんだと思います。

それは大学で勉強一本でやってきた人も、スポーツ一本でやってきた人も、きっと他の部分でその経験や知識は活かされていると思います。

 

これを実証する方法はありません。

でも大学生活という4年間があったから

今があると、私が身をもって証明できます。

 

学業と両立するという部分がなぜ必要なのか

学業と両立するハードルは人それぞれではありますが、一般的な大学生に関してはともかく卒業できるだけの努力をしなければこの考えは大学不要論へのアンサーにはなりません。

大学生活の4年間で得た「何か」は、あくまでやらねばならないことをやり遂げられる精神性を持つ人間しか発揮されないからです。

仕事もプライベートも、最低限の義務というものがあります。

自由は制限をもって存在します。制限のない自由はいつか堕落へ向かいます。

だからこそ、学業と両立した本人も意味のないと思っている経験が思わぬところで顔をのぞかせるのです。

 

 

最後に

大学がもしなかったら私はどうなっていたでしょうか、高校三年生のときの私の将来の夢は「ヒモ」でした。本気です。

自由を与えられた際、学業という制限にリソースを割きつつ、残りで何をするかは人によって本当に様々です。私は自分じゃ絶対選択しないような道を歩んだ友人を何人も見ています。

 

社会はそんな私たちの経験にある「砂金」に期待して、4年という自由を単なる放浪とみなさずに評価してくれるのではないでしょうか。