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しっくりとゆっくりと更新しています。

人の感動は「物語」によると思っていた。

 

 

 

こんばんは、Youtube平均視聴時間が人間やめてるガノンドロフです。

 

 

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そんなわけで、今回はコンテンツ(創作物)への楽しみ方にいろいろあるなという話です。好きな食べ物とかではないです。

 

物語の定義

一言でいうと、人間がハマる瞬間ってそのコンテンツの物語に感動することが必須だと思っていたんですが、最近そうでもないなって思い始めました。

物語という言葉を一段掘り下げます。今回のブログでは、物語とは「コンテンツへの背景・経緯から引き出されるその演出、行動、発言」という定義とします。

 

あなたに好きなコンテンツはありますか?きっとひとつくらいはあるでしょう。

オタクなのですぐアニメを連想するんですが、いろいろなジャンルでコンテンツという枠組みは当てはまると思います。

例えばスポーツ

ラグビーは非常に人気になりましたが、あの人気を裏打ちしているものは「長い間芽が出なかったチームがついに大躍進」だったり、「これまでの日本代表選手のラグビーに対する姿勢」だと思います。

美術作品も、アーティストの経歴やその当時の歴史を知ることで感動が生まれるものだと思います。

 

私は、特にコンテンツを好きになるときこの「物語」を非常に重要視します。そのせいか、アニメは必ずシリーズの最初から見るし、ゲームは一番最初に出たものをやります。

もちろん、この「物語」を重要視するかどうかには濃淡があると思います。ただみなさんにも、「ひとめぼれしたキャラクターの背景を知ることでコンテンツへの興味を一層強めた」なんて経験があるでしょう。

 

物語軽視のコンテンツを生成する運営について

というわけでタイトルに戻るんですが、最近非常にこの物語をあまり気にしない人が増えてきたなと思いました。

良い悪いという話ではなく、人それぞれ楽しみ方は違ってよいと思うのですが、それによって引き起こされる個人的な問題としては

「運営側が物語を軽視している」

ということです。

 

物語がない・軽視しているコンテンツや矛盾を生じさせるコンテンツを楽しめないタイプの人は私以外にもいると思いますが、私のような人からすると運営の姿勢が変化することは「既存のコンテンツを楽しみ続けることができない」もしくは「新規コンテンツへの興味がなくなる」ことになります。

 

あくまで運営の決定がコンテンツのすべてなので、それをバッシングする気はないですが、これを「オタクから卒業する時期が来た」とみなすのかそれとも「運営によるコンテンツの破壊だ」とみなすのか。

 

今日はここまでにします。