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しっくりとゆっくりと更新しています。

生きるための考え方

こんばんは

今回は真面目なテイストでブログを書いていこうと思います。

皆さん社会への不満って持っていると思います。こうなればいいのに、こうしなきゃいけないなんておかしい、などなど多くの不満が渦巻いているでしょう(SNSだとよく回ってきますよね)。

ハッシュタグでよく見かけたMetooもそういった社会の問題をツイートにしたものですね。

こういった問題への不満、言及を見ていると毎回思うことがあります。

それは自分の努力を放棄している人が多いということです。

 

ミクロとマクロの考え方とよく私は表現するのですが、例を挙げると

学生ならば「なぜ勉強するのか」と疑問に思うことが誰しもあると思います。特に、大学で学ぶことなんて社会で使わないし、とか、就活までのモラトリアムでしょ、とか、そもそも就活したくねー、とか様々思うと思います。

確かにマクロ(国家規模)的視点で言えば、「勉強した知識が生かされない、評価されないこと」はよくないし、変えていかなきゃいけないと思います。

ただ現時点においては、ミクロ(個人規模)視点で考えれば、「やっといたほうが選択の幅が狭まらなくていいかな」と思うわけです。

 

つまり、「納得がいかなくても、自分の不利益にならないよう行動する」のがとりあえずベターといえるのです。

 

また、自分が本当に気になる問題なのか考えたほうがいいです。多くのアンテナを張っていれば、これはいけない、変えるべきだ、と思うこともあるかもしれません。でもだいたいのことはすぐに変わらないので、実現可能性がありそうなこと以外は発信せずに自分の気持ちの中で抑えていたほうが精神的に安定します。

 

不利益を被らないよう努力していてもダメ、気になる問題がある、というのなら行動するのが一番です。ただ一つ言えるのは、変えるためには資金だったり人脈だったり、地位だったり、多くのものが必要となります。それをカバーできるのは発信力や才能なので、難しいと思います。

あくまで私の考えですが、解決できるところまでじっと耐えて、納得いかなくても社会に沿ったほうが上手くいくと思います。

 

名言にもありますよね

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私はもともと専業主夫になって、優しい人を奥さんにもらって過ごすというのが人生の目標でした。また、本でも読みながら人生を謳歌する高等遊民になる道を本気で考えるくらい労働が嫌いでした。

しかし、現実はそう上手くいかず、就職するのは当たり前、高等遊民なんてできないよ的な世界なので(奨学金借りてますし)、今の現状に即した理想の生活を再定義して行動して、ちょっと早めの就活を考えています。

憲法にも規定されていますが、権利の主張は義務の履行で果たされます。すなわちやることやってない人間が何言ってもダメだってことです。

 

今回の記事はあくまで、私のような凡人が、幸せに生きるための考え方なので、みんながみんなこんな考え方してるのは社会としてはだいぶやばいと思います。しかし、何か問題があっても思いつめすぎない、適当に流されながら生きるっていうのも、悪くはないと思いますよ。小学生の時みたいに。

 

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